2017.05.31

写実主義

 高校時代に上野の日展に毎年行くようになって以来か、いつの間にか絵画を鑑賞するのが好きになったような気がして、海外旅行に行っても、目的地の一つに美術館を加えることも多い。
 初めての海外旅行(アメリカ旅行)で、ボストン美術館、メトロポリタン美術館に行ったのを皮切りに、世界のあちこちでも有名な美術館を見てきた。
 自分にはもともと絵画を鑑賞する美的センスがあるとも思えず、いったい絵画のどの部分に感動しているか分析して見ると、どうやら「そっくり」であることに反応していることに気づいた。抽象的なものよりも、できるだけ写実的な絵画を見てキャッキャとしているだけのようなのだ。
 また、美術史の教科書に出てくるような有名作品の実物を見て、単に「本物を見た」という感動を味わっている部分もあり、実に単純なものである。高度な美的芸術的趣味などではなく、「類似性」の確認作業をしているだけなのかもしれない。
 まぁ、それも良いではないか。決して芸術はセンスの高い人、教養のある人だけのものではない。「写実主義」なんていう考え方もあるようだし。
 他にも「モノマネ芸」や一卵性双生児の方々を見ると、なぜか嬉しくなることもあったり、単なるそっくりフェチなのかも。
 そんなそっくり大好きな自分にとって、うってつけの美術館があると聞き、先日行ってきた。
 千葉にあるホキ美術館である。
 美術館は千葉市内ということなのだが、東京側から行くと千葉市の中心部からもまだ先で、結構遠かった。新しく開発された感じの綺麗な街並みの中にある。美術館用の駐車場も併設で車でのアクセスが便利。
 日本初の写実絵画専門美術館であるホキ美術館のコレクションは、そっくりフェチの自分にまさにドストライク!であった。野暮な表現をすると、「写真のような」、別の言い方では「絵画ではないような(実物を見ているような)」写実絵画だけが展示されている。
 都心部や交通至便な場所というわけではないので、海外の有名コレクションを一時運び込んで展示する美術展にあるような殺人的混雑とは無縁である。静かに「そっくり写実絵画」と向き合えるのだ。
 こんな美術館のコンセプトを考えていただいたことに感謝だが、私以外にも、写実的な絵画を見てこころがざわつく御仁が他にもたくさんいらっしゃるから成立しているのかもしれない。

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2017.03.29

すばらしき日本の食文化

 和食と言えば、一般的には無形文化遺産になったりして、「繊細」で、「健康的」で、「洗練された」食文化というイメージであろうか。世界三大料理には入っていないものの、世界的に見てもその存在感はそれなりにありそうである。
 ただし、日本の食事の「食べ方」を見てみると、本当に洗練された食文化なのだろうか、と思うことがある。
 若い頃、はじめて海外旅行に「かぶれて」帰ってきて、気になったのは、日本での麺類、スープ類をすする音である。高速で「ズッ」とすするならともかく、隣の人がビチビチとすする音が非常に不快に感じるようになり、自分自身もすするのをやめることにして今日に至る。これが欧米かぶれのスノビッシュな思い込みなのかと思いきや、アジアを旅行した時も、あまりすすらないのが一般的であることに気づいた。
 そのほかにも、世界を旅してみると、意外と(都市生活をしている人の食文化としては)日本くらいでしかやっていない食べ方があり、それを冷静に見てみると、結構野蛮で下品に感じなくもないものが多い。
 椀、丼を手にもって食べる、椀、丼から直接汁物をすする(匙を使わない)、生の畜肉・魚肉を食べるなどなど。
 意外だったのは、同じ箸文化である東アジアの国々でも、日本のような食べ方はマナー違反とされているものが多いようなのである。
 それでも世界的には日本の食事がおしゃれで健康的なものとして支持されてきているようだし、熱いもの、旬のものを美味しく食べるために良しとされてきた歴史ある食文化なのだから、それを否定するのは意味ないすけどね。

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2006.10.25

エルミタージュ

 以前にこのブログで書いたが、世界三大美術館のうち、唯一行った事がないのがエルミタージュ美術館である。しかしサンクトペテルブルグというのは、なかなか行きづらい場所にある。基本的にはモスクワかヨーロッパのどこかの街を経由していく長旅になるので、ちょっとの休みで行くには厄介な場所なのだ。北欧やモスクワを組み合わせて行けばいいのだが、エルミタージュを満喫したいので、サンクトペテルブルグ中心で行きたい。更に北国のことである。あまり寒い時期にも行きたくないものだ。ハードル高い街である。
 そんな悶々とした十年を過ごしていたら、東京にエルミタージュのいくつかの作品が来ると言う。山口智子さんの特番もやっていたので、週末は混むだろうと見込んで、早速東京都美術館に急いだ。
 美術館に到着したのは3時半。果たして全部見切れるだろうかと焦ったが、とりあえず入ってみることにした。
 美術館はかなり混んでいた、。やはり大々的に宣伝している(特別協賛ダイワハウス)だけあって、集客力はすごい。展示作品は約80作品。正直大美術館の抜粋展示だけあって、作品数はそんな多くない様な。あと、やっぱり本場には代表作が残してあるので、そんなに有名な作品(私が知っている程度の庶民派のもの)はなかった。宣伝文句のモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソやルソー、ユトリロなどがちょっとずつあるだけである。なんとかそのエッセンスを味わっただけで、少し物足りなかった。
 正直世界の「大手」美術館のすごい所は、これでもかというぐらい大作や有名作が並べられているところである。教科書や美術事典で見た世界の大作がずらりと並んで鼻血ブーというのが醍醐味である。やはり持ち出しのエッセンス展示ではその良さがわからない(私は美術の良さを鑑賞しているのではなく、有名人が一杯いてお腹いっぱいというミーハーな美術鑑賞しかできない)。
 結局更にエルミタージュ美術館の本物の数々を見たくなったのであった。
 知らない作者なのだが、オスヴァルト・アヘンバッハの「ナポリ湾の花火」は印象的だった。アヘンバッハってだれでしょう。

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2004.08.09

著作権ビジネスのはなし

 平成10年から昨年にかけて小林亜星氏と服部克久氏の「記念樹」に関する著作権訴訟がマスコミをにぎわしていたのはもう昔話になってしまった。
 音楽の世界において、作曲者の権利は当然守られるべきものである。歌のうまい人や楽器のうまい人は山の様にいるが、ポピュラー音楽で「良い曲」を作曲できるのは限られた才能だ。しかし、音楽はひとりのクリエーターの力で成り立っているのもではない。演奏家、作詞家、プロデューサー、エンジニア、プレス、流通業者その他様々の人の力によって、ポピュラー音楽は成り立っているのであって、クリーエーター一人の才能だけで、音楽が市場に流れているのではない。マスのマーケットに乗ってこそ、ポピュラー音楽なのであって、現在のひとりのクリエーターの著作権に異常な高い価値が置かれる昨今の流れはどうかと思うのである。この判決で、クリエイターは過去の作品を気にし過ぎ、自由な創作活動が難しくなってしまうのでは、と心配してしまう。
 もどって、「記念樹」であるが、「どこまでも行こう」と「記念樹」双方を愛するリスナーとして、あえて言わせていただくが、私はどちらの音楽にも類似性は感じられなかった。あっぱれさんま大先生の「記念樹」を聞いて、「どこまでも行こう」を連想した人がどれだけいるだろうか?音楽は限られた音階とコード進行の中で作曲されるもので、たとえば、リズム&ブルースや演歌のコード進行、メロディの多くは類似している。文学の世界であれば、脚注に引用文献は乗せるものの、シェイクスピアの引用やら聖書の引用やらさんざんしているし、映画の世界でも、黒沢明の引用やらかつての映画の引用やらで、悪い表現で言えば、「パクリ」はフツーである。むしろ、パロディやオマージュといった形で、昔の手法を引用するのは創作活動において当たり前なのだ。あえて言わせていただければ、創作活動はかつての創作者の創作物の何らかの影響を受けていないものはなく、完全なオリジナルなど存在しないのだ。
 他人の作品を応用してあたかも自分の作品のごとくふるまうのは問題だが、「記念樹」についてはそれはあてはまらないのではないだろうか。裁判の過程において、128音中92音(72パーセント)で同じ高さの音が使われている。各フレーズの最初の3音と最後の音が全て共通している。強拍部の音が一致している。両曲の起承転結(構成)が酷似している。旋律のみで演奏された「記念樹」から、「どこまでも行こう」の旋律が直接感得される。バリエーションの検証の観点から、例えば「どこまでも行こう」に、また他の曲の例として「君が代」の旋律に、大幅な改変を加えたとしても、原曲を直接感得できる。改変の程度が少ない「記念樹」の場合には「どこまでも行こう」の旋律に改変を加えたものでしかないことを明確に感得できる。(http://www.remus.dti.ne.jp/~astro/hanketsu/keii.htmlより勝手に引用)といった内容が、判決の要素になっていたというが、これを言い出したら音楽の創作は不可能になってしまうのではないか。80年代にJ-POP、J-ROCKのギターリフなどは、洋楽の完全パクリが多くあって、あれはあれで引いてしまったが、「記念樹」はそういった類いの安易なコピーではなかったと信じたい。
 あの、全盛期のあっぱれさんま大先生の「記念樹」がまた聴きたいものだ。

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2004.07.13

世界美術館めぐり4+?

 今回はオランダ編でございます。
 アムステルダムに旅行したとき、かの地も美術館&博物館の宝庫であった。まず向かったのは代表的存在である国立博物館である。建築もすばらしいが、レンブラントやオランダを代表する芸術品が多数収められている。代表はやはりレンブラントの「夜警」である。他にフェルメール、ブリューゲル、ファン・ダイク、ルーベンスなど多数。オランダ絵画好きにはたまらない美術館だ。
 この国立博物館の裏手をちょっと歩くとゴッホ美術館に出る。私はそれほどゴッホ好きではないのだが、ゴッホひとりに絞り込んだ展示は、(実際にはゴーギャンなど関係者の作品もちらほら)ゴッホ好きにはたまらない美術館だろう。建物は新しく近代的で綺麗。
 ゴッホ美術館を出て、ぶらぶら歩いていると、白人の旅行者から、「リュクスミュージアムはどうやっていくのか?」と聞かれた。最初何を言っているのかわからなかったが、リュクスミュージアムとは国立博物館のことであったようだ。はじめてオランダへ来た人間が偉そうに道を教えてしまった。なぜアジア人の私に道を聞くのだ!
 こればかりでなく、アムステルダムは美術館、博物館の宝庫だ。ユダヤ歴史博物館や、猫の博物館など、他の街にはあまり見かけない変わり種の博物館が揃う中、度肝を抜くのは、街の中心部にある「セックス博物館」「拷問博物館」「エロチック博物館」だ。日本にも同様のものはあるかもしれないが、それは温泉地にある秘宝館である。性に奔放な日本でも、銀座や渋谷の中心地にこんな博物館は見かけない。飾り窓のようなソッチ系の店ではなく、アカデミックな博物館ですから!
 私は「拷問」には興味がなかったのだが、ソッチ系には興味がないわけではないので、「セ○○○」の方に入らせていただいた。でもはっきりいって秘宝館だった。日本の秘宝館には入ったことないけど...。
 秘宝館の様に入るのに後ろめたい雰囲気ではなく、なにしろ街の目抜き通りにあるので、観光客や家族連れが気楽に入れる明るい博物館だったですよ!

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2004.07.02

世界美術館めぐり3

 世界三大何々と呼ばれるものは多い。三大珍味のキャビア、フォアグラ、トリュフや、三大宗教のイスラム、キリスト、仏教といった「三大」は異論が少ないが、その他の三大〜は、言い出した人の文化的背景や感じ方、住んでいる地域によって大きく違ってしまうらしく、三大といいつつも、候補がいくつもあったりする。その中のひとつの分野が、世界三大美術館だ。
 まず、芸術の都パリにあるルーブル美術館は、ほとんどの三大美術館シリーズに名があがる。それ意外の候補が問題だ。ざっと調べただけでも、以下のようなものがある。
 まずは、ロシアのサンクトペテルブルグにある大美術館「エルミタージュ」。スペインを代表する「プラド」。カトリック総本山「ヴァチカン」。アメリカの富の結集「メトロポリタン」。大英帝国の象徴「大英」。ルネサンスの殿堂「ウフィツィ」。中華の代表「故宮」などなど。
 私個人の感じかたとしては、展示品の格から言うと、ルーブル、エルミタージュ、大英だが、美術館という純粋なカテゴライズからすると、ルーブル、エルミタージュ、メトロポリタンだろうか。大きさや、資産価値や判断基準によって見方は変わるが、まぁ、このあたりが落としどころか(って勝手に落としてスミマセン)。一応行政の方でも定義付けしているらしいが、美術品の価値っていうのは普遍的ではないので、何とも言えませんな。
 そんな中、BLOGらしく思いつくまま、美術品の素人である私のお気に入り三大美術館を書いてみたい。私のお気に入りは、ニューヨークメトロポリタン、ウィーン美術史美術館、パリのオルセー美術館である。これらの美術館の内容については、追って別の機会に書いてみたい。その他、シカゴ美術館、オランダ国立博物館、もちろん、プラドやヴァチカンも印象深かった。エルミタージュは一度行ってみたいが、サラリーマンにとって、ロシアの一地方都市滞在一週間の行程を組むのは難しいのではないか。
 私の絵の鑑賞法は極めて単純で、「あ、この絵図鑑で見たことあるぅ」「あ、これ美術の教科書に載ってたぁ」というバカ丸だしの鑑賞法がメインだ。しかし時々、特にキリスト教を主題としたそれほど知名度のない絵の前で、電気が走るような強い衝撃を受けることがある。作者もそうしたキリストの奇跡について衝撃を与えることを目的として書いていると思うので、私は思うつぼの鑑賞者だ。まいったか。

 

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2004.04.28

世界美術館めぐり2

 大枚をはたいて、海外の憧れの美術館に行ってもお目当ての名作に合えないことがよくある。前回世界美術館めぐり1で書いた通り、海外旅行のときはとりあえず美術館めぐりをし、芸術をわかったふりをしたりするのだが、結局数少ないお目当ての有名作品に出会えずに帰ってくることが多い。
 はじめて訪れた海外の大型美術館であるボストン美術館は日本美術のコレクションが有名である。特に北斎、広重らの浮世絵美術のコレクションは世界最高水準と聞いていたので、同行の友人Hを説き伏せて訪れたのだが、何と豊富な浮世絵コレクションは海外の美術館へ貸し出し中らしく、ほとんど浮世絵を見る事ができず、消化不良のまま、美術館を後にしたのであった。広重ファン(?)にとってはがっかりな結果であった。
 その他のがっかりは、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」だ。ご存知の通り、当時(10年以上前)は有名な"腰布はずし”の大改修の最中で、レプリカというか、コピーの絵が改修中の壁画の外側にかぶせてあった。ミケランジェロの歴史的名作は見られずじまい。せっかく来たのに。
 とどめはオランダのマウリッツハウス美術館。ここはレンブラントの「デュルプ博士の解剖学講義」の展示美術館として、オランダ旅行のハイライトに設定していたのだが、ここでも肝心の「解剖学講義」が展示していなかった。修復中か貸し出し中だった模様。なんという展示運の悪さ。ここでレンブラントを見られなかったら来た意味ないじゃん!とオランダ語で主張できなかったので、とりあえず無言で(一応係員に「アレはないの?」と英語で聞いたがaha〜とのこと/正確には何かおっしゃってました)美術館を後にした。
 意外と貸し出し中の時は、上野の美術館に展示してあったりして。
mauritshuis004.jpg
ハーグ(デンハーグ)のマウリッツハウス美術館の隣の池よりビネンホフを臨む

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2004.04.22

世界美術館めぐり1

 海外旅行へ行くと、大都市の有名な美術館や博物館を回るようにしている。美術の素養も美術史の知識もほとんどないので、美術や世界史の教科書で見たことがある絵画、彫刻や歴史的な展示品などをミーハーな気持ちで見物し、「あ、これ本で見た事ある!」と言って帰ってくるだけなのだが...。
 美術館によって強い部門と弱い部門があって、同じような西洋美術の展示でも傾向が異なる。誰が言ったか、世界3大ミュージアムはニューヨーク・メトロポリタン美術館、パリ・ルーブル美術館、ロンドン大英博物館らしい。絵画の大作ではルーブルに圧倒的なコレクションがあり、エジプトやギリシアなどの古美術、発掘品などは大英博物館のコレクションがすごいのだろう。
 メトロポリタン美術館の展示品は一応一級品が多いが、ルーブルや大英博物館の超メジャー級のコレクションからすると、全体としては少し見劣りする。しかし、さすがエンターテインメントの国だけあって、その展示方法やレイアウトはメトロポリタンが圧倒的に抜きん出ているように感じた。特に甲冑類の展示や、インテリアの展示などは、展示品の貴重さや重要度と関係なく、見学者をわくわくさせる力を持っていた。センスの良いお金持ちの応接室に招かれたような心地よさだ。
 一方の大英博物館は、展示品は超一級ながら、展示方法がやぼったく(当時)、盗賊の盗品倉庫のような雰囲気だった。大英帝国が、占領国から略奪してきたものも多いので、あながちこの感覚は的外れでもないのだが...。そのような歴史上貴重な展示品をよそに、併設の図書館の入り口に展示してあった、ジョンレノン直筆の歌詞に感動してしまった。いずれにせよ、入場は無料だったのが良いところか。
 また、ルーブル美術館は超有名な作品、本当にサイズのやたら大きい大作など、文字通りの大作ぞろいで、これでもかこれでもかの大作攻撃に途中で酔ってしまい、全て回る事ができなかった。美術センスもないのにわかったふりをしようとして知恵熱が出たのか。ルーブルだけは、どんな駆け足で見るにしても、ある程度時間に余裕を持った方が良さそうだ。あと、パリの美術館はいつも混んでいて(オルセーなども)チケットを買うにもかなり行列が必要だった。
 ちなみに上記の情報は10年ほど昔のものばかりで、現在は大きく様変わりしている可能性もあるのでご注意を。

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