2012.08.26

あどけない夏空のはなし

 「智恵子は東京に空がないといふ、ほんとの空が見たいといふ。」
と智恵子抄で書かれているように、東京には空がなかったかもしれない。
 智恵子抄では阿多多羅山の空がほんとの空らしいから、ふるさとを想う意味で言っているのだろう。ただ地方のような澄んだ空ではなかった東京の夏空が最近変わってきたようだ。(というはなしは以前もしたかもしれないが、今年もそれを強く感じたのでまた伝えたい。)
 幼いころ、東京ではないが埼玉県の南部のまちに住んでいたのだが、当時夏場にほんとの空はなかったような気がする。何しろ毎日うす曇りのような感じであり、少しでも気温が上がると光化学スモッグ注意報が発令されて、のどがイガイガ、眼がチカチカ、どんより、ベトベト、というのが夏の記憶である。
 天気や気象に興味のあった少年時代、小学校の夏休みの自由研究で、「くものかんさつ」を毎日記録して、提出しようとしたのだが、当時の空は毎日晴れていてもどんよりスモッグがかかっていて、すっきりしない空であったため、ほとんど雲の形を描くことができず、断念した、という記憶がある。
 ところが、最近の東京の夏空は勝手が違うのだ。南国や地中海を想わせるすっきりとした紺碧の青空が広がることが多いのである。日によっては、湿気がまとわりつくような日もあるが、どちらかというと、五月晴れや秋晴れのような澄み切った青空であることが多い。昔はお盆くらいは空は澄んでいたが、通常の夏空はどんより汚れていた。
 熊谷あたりで関東最高気温が更新される日も、透き通る青空から容赦なき日光が降り注ぐのである。
 地球温暖化で、日本が熱帯化している、というヒトもいるが、熱帯の夏というのは晴れとスコールが交互にやってくる、というイメージで、ゲリラ豪雨で広域で雷雨はあるものの、通常の東京の夏空は熱帯の気候と違う。
 少なくとも、空気がきれいになって、ほんとうの東京の空が変化してきているように感じる。排ガス規制のおかげ?
 あどけない空のはなしである。
Sky


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2012.05.27

埼玉の偉人

 私は埼玉県出身なのである。今は居住していないが、20年以上住んでいた。比較的人口が多い県なので、県民性をひとくくりにすることはできないが、自分の接した範囲では、自己主張が弱く、穏やかな人が多かった。ダサいたまと言われ、なんとなく自分達を卑下する県民性があるのかもしれない。「俺が俺が」という人がいない、というところがあるせいか、日本史上に登場する偉人が出にくい、という環境であるようだ。芸能人や宇宙飛行士等個人の能力で活躍する人はいるが、いわゆるトップに立つような総理大臣や横綱はいない。
 埼玉を離れてみて、実はとてつもない偉人がいる、ということに遅ればせながら気づいたのである。東京の王子の博物館に入り、偶然その偉大さに触れ、脱帽するしかなかった。
 それまでも何となく知ってはいたが、子ども時代の歴史教育でじっくり教わった記憶はない。教科書の後半に載っている近現代史の常で、あまり落ち着いて習うことがないのだろう。実際のその偉人の名前と産業界へ貢献した人、という程度の認識はあったものの、それ以上の情報はなかった。ところが知れば知るほどその偉業に驚くばかりである。
 日本史上、教科書に載っているヒトから偉大な企業経営者まで、いわゆるスゴイ人はいる。しかしその埼玉の偉人は現代の経済大国日本への影響度で言うと、他に比べられないくらいとてつもない偉人なのである。
 しかし、何故かあまり大きく扱われることはない。テレビドラマにもならなければ、歴史書で多くのページが割かれることもない。このあたりが、「埼玉県民らしさ」なのかもしれない。本人が巨大財閥を作ったり、多くの人を傅かせることを望まなかったせいもあるし、自分の関わった企業に自分の名前をほとんど残していないということもあるのだろう。また、時代の中で当たり前すぎるぐらい偉大な人というのは、当たり前すぎて、その当時の空気を記録する人が少ないのだろう。
 農業、商業、尊皇攘夷の志士、江戸幕府幕臣&海外派遣、明治政府官僚、企業家という明治維新前後の重要なポジション(それも全く立場や利害が異なる)をくぐりぬけ、結果的に明治時代以降の日本の産業育成の「ほぼ全て」に関わっているといっても過言ではない。しかも武士や薩長土肥の出身でなく、埼玉県(武蔵国)の豪農の出にかかわらずである。
 現代日本の株式会社、銀行、証券取引の基礎を作ったのはこの人なのである。徳川慶喜や明治政府の重要人物、後の財閥を形成する産業人とも深い接点があり、こんな数奇な運命をたどった人もいないので、もうちょっと歴史ドラマに出てきてもおかしくない。更に弱者を助けたり、アメリカとの友好関係維持にも熱心で、同時代の人から「尊敬されていた」人物だ。商業と道徳の両立(ただお金儲けをするだけでなく倫理を持った商売をすること)を説いたことでも知られる。
 彼が関わって、名前を変えて現在も残る企業、団体の数を見ると、「え!ここも?」と思えるぐらい、幅広いラインナップである。あの銀行、あのメーカー、財閥系の冠のつかない老舗大企業はみんな関係しているのではないか?という凄さだ。一人で日本の産業をここまで発展させた人はいないだろう。後の「世界に冠たる経済大国日本を作った人」を一人上げるとすれば間違いなくこの人である。その人の名は渋沢栄一氏。埼玉県どころか、お札に刷られてもおかしくない日本の偉人である。

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2011.11.03

いちばん長い10月

 子供の頃の1日、1か月、1年というのは非常に長かったように感じるが、大人になると、時間のたつのがはやく感じるのは、多くのヒトが一致するところだろう。私もいろいろあった30代を振り返ると意外と長い期間だったが、その渦中にいるととても時のたつのが(歳をとるのが)はやく感じたものである。
 あれやこれやで40代になり、加齢から朝、異常に早起きになったりして、1日に使える時間は長くなっているのだが、やっぱり時は瞬く間に流れていたのである。
 日本史上においても劇的な2011年であったが、もう11月である。ところがこの2011年10月だけは非常に時がゆっくり流れたのであった。
 妻が以前から犬を飼いたいと主張していたのだが、ウンチを拾う毎日になるだけだし、自由が奪われるから頑なに拒否していたのだが、ある日夫婦で飲酒して帰りに立ち寄ったペットショップで出会った子犬にビビッときて、あっという間に犬を飼うことになってしまったのである。文字通り、酔った勢いでできてしまった子であった。
 ショップ内で風邪をひいたりなんかして、引き取りは10月に入ってから。つまりこの10月は子犬と生活を始めた一カ月だったのである。
 予防接種が終わるまで散歩はできず室内飼いなので、予想通り部屋の中でオシッコを拭き、ウンチを拾う毎日が始まった。
 最近仕事のストレスからか、心が折れかかっていたのだが、この子犬様のおかげで、家族以外に愛情を注ぐ対象が生まれ、精神的に穏やかな日々が始まったのである。まるで子供時代のようにゆったり流れる毎日。
 オシッコを拭き、ウンチを拾い、餌を与え、オシッコを拭き、ウンチを拾い・・・・。という毎日を繰り返しているうちに、現在ではペットシートの上でトイレができる子になったので、オシッコを拭く機会は減ったが、ウンチ拾いは続いている。子犬に愛情を注ぐことで、自分に対しても他人に対しても寛容になった自分に気づく。
 仕事上でも、色々な仕事が進み、私生活でも新しいヒトとの出会いがあったりと出来事も盛りだくさんの一カ月だったのだが、ここ20年では最も長く感じた10月だったのである。
Dog

 

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2011.08.17

路上喫煙禁止のはなし

 道路や歩道でタバコを吸ってはいけませんよ、という条例が出たのは、確か東京の千代田区が最初だったと思う。以降、人通りの多い場所での路上喫煙禁止は、全国の自治体で実施されているようだ。明らかに昔と比べて歩きタバコは減っているようである。
 禁煙のマークと言えば、昔から駐車禁止のマークの中央に煙のついたタバコを描いたものがスタンダードである。ところがこの路上喫煙禁止のサインは、そのマークにとどまらず、自治体独自のデザインを、歩道の地面にプリントする、という方法が一般的である。駐輪禁止エリアについては、案内表示板を立てているケースが多いのだが、路上喫煙禁止に関しては、なぜか地面プリントが圧倒的である。
 自治体によってデザインが違うことに興味を持ったので、東京のいくつかの自治体の歩道に貼ってある喫煙禁止マークを比べてみた。
Sumida
【墨田区】文字を前面に打ち出してメッセージ性が強い


Chuo
【中央区】どっち側から歩いてきてもわかるデザイン


Chiyoda
【千代田区】路上喫煙の先駆者 シンプルイズベスト


Bunkyo
【文京区】これも文字が力強い


Musashino
【武蔵野市】少し変わったデザインだが内容は伝わる


Itabashi
【板橋区】路上禁煙から放置自転車禁止まで全部盛り込んだうえに、ニリンソウ?かなにかのデザインを入れてしまったがために、何が伝えたいの遠目にはかわっかりづらい・・・。写真もボケているけど。


 これだけ比べてもとても個性があふれている。さらに多くの自治体が喫煙禁止をしているという事実にも驚いたのだ。東京が集団ヒステリーのように禁煙の大合唱をしているが、その点、大阪は東京より進んでいて、すでに別のものを規制していたのである。
Photo
【淀川区】何で?

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2011.03.18

3.11

恐怖と混乱の中、一週間が過ぎた。
強烈な揺れとその後の社会の混乱を体験した以外、
直接的な被害を受けたわけではないのだが、
何もできない。混乱するばかりである。
不安から逃げるように酒におぼれる日々。

悪夢からしばらく後、テレビに映し出される映像から
一筋の光を見た。
一人ひとりの冷静でモラルある行動。
勇気あふれる行為。
苦しみの中で力強く生きる姿。
多くの善意。

被害は歴史的な大きさで、まだ拡大している。
悲劇は続いている。
被災者の救済や復興が容易でないのも事実である。

それでもなお、
私たちの日本は世界に誇れる国に再びよみがえる。
これから何年かかったとしても絶対に。

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2010.10.06

調査のヒト

 5年に一度の国勢調査がそろそろフィナーレを迎える時期だと思うのだが、我が家には調査員がやってこない。我が家は妻も少し外で働いていおり、半ば共働き家庭に近いせいか、調査員とのタイミングが合わないのか。それでも9月下旬から何日かはどちらかがほぼ一日家にいた日が何日もあり、調査の係のヒトにやる気さえあれば、一日くらいは我が家のチャイムを押してもよさそうなものだ。
 仮に不在であっても、郵便受けに調査票を入れていくとか、直接訪問が原則であれば、「いついつまた訪問します」といったメモでも入れていってよさそうなものである。ともかく、ここしばらく、調査のヒトから何ら接触がないのである。
 放っておけばよい、という考えもあるが、全員参加が原則の国勢調査から相手にされないとなると、何か日本人であるアイデンティティすら失ってしまいそうな寂しさを感じ、とうとうしびれを切らして自治体の国勢調査コールセンターに電話をしてみた。
 午後になって家に電話があり、高齢の男性から後ほど再訪する旨の連絡があった。妻が受けたのだが、何か要領を得ないような電話だった模様。そして数十分後、調査のヒトらしきヒトがようやく我が家を訪れた。
 調査のヒトは70代くらいと思われるおじいちゃんである。国のホームページによれば調査員は腕章やら何やら調査員であることを怪しまれない身なりをして現れる、とのことらしいが、そのおじいちゃんは自動車整備工のようなつなぎを着て何らそれらしい様子なく現れたのである。おそらく仕事中に自治体の国勢調査センターから呼び出されて、着の身着のまま現れた、という体である。これでは国勢調査を装った不審な訪問者にご注意ください、と言われてもしょうがない。
 そのおじいちゃんの言い訳によると、以前、我が家のマンションに訪問した際、別の階の方から自由に出入りされては困るというお叱りを受けたらしく、意気消沈して二度の訪問を断念した模様。おそらく、入り口のインターホンで一軒一軒呼び出さず、一回解錠されたオートロックで全室を回ろうとして、怪しんだ住人に文句を言われたのではなかろうか。何だかおじいちゃんはかわいそうであるが、ここらへんが最近の国勢調査の難しいところである。おじいちゃんを叱った別の階の方もちょっと神経質すぎるが、オートロックのマンションの回り方も自治体の方でおじいちゃんに指導して欲しかった。で、怒られたらあきらめちゃっていいの?
 久しぶりに書いた国勢調査はこんなに簡単だったっけ?と思うほどシンプルな内容。果たしてこんな内容の調査で調べた統計ってどれほど役に立つのか?という疑問があるのと、今回こちらから連絡しなければ、調査票は回ってこなかったという現状をかんがみて、この統計調査の行く末を案じる次第である。

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2010.08.08

話の長い人たち

大人になってわかったのだが、どんな集団にも話の長いヒトたちがいる。話の長いヒトは、話が面白いヒトから、著しくつまらないヒトまで振れ幅が大きい。友人として付き合ったり、暇つぶしをしたりするには問題ないのだが、時間が貴重なビジネスの現場では著しく生産性を落としてしまう。

特に私は、早く結論を欲しがるせっかち人間なので、仕事の現場でこの話の長いヒト(シーハナガイナー族と命名している)に出くわすと、非常にイライラしてしまう。

話が長いヒトの話にはいくつかのパターンがある。私の知る範囲では以下のような分類になる。

タイプ1 自分の自慢話

タイプ2 自分の経験談

タイプ3 面白話

以上3タイプは頭もよく、論理的に話ができる人にも生じるが、ビジネス上のコミュニケーションでは必要性がない話題が多く、時間の無駄であることは間違いない。

タイプ4 論理性なし

話したい内容がまとまっておらず、結論も不明確。いたずらに時間だけが過ぎていく。このタイプの人は「要は」「要するに」といった言葉を多様するが、結果として要約されておらず、何がいいたかったのか結局わからず、無駄な時間ばかりが過ぎている。

タイプ5 ループトーク

同じ話の繰り返し。本人は同じ話をしている自覚がないか、相手に噛み砕いて伝えている気になっている。聞き手にとっては無益な時間がながれていくだけである。酔っ払いに多いが、素面でもこのタイプはいる。相手を諭すことで優越感を味わっているらしいが、話している本人の話のレベルが聞いているヒトより低いケースも多い。

タイプ6 独り言

タイプ1、2にも通ずるが、冷静に判断すると、独り言を言っている、つまり相手のことを全く考えず話しているパターン

タイプ7 名講演者

話がうまく、一人で話していても周りが引き込まれていくタイプである。対話の時間は充実した気分になるが、仕事は進んでいないケースが多い。

いずれにせよ、仕事の現場にこのシーハナガイナー族がいると仕事が進まない。

そして実は私もシーハナガイナー族なのであった。

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2010.06.27

フツーのブログ風日記

 毎年ベランダのプランターで植物を育てているのだが、今年はいくつかプランターが空いていたので、芽の出たジャガイモを放り投げておいた。プランターの中には生ゴミを腐らせて堆肥化して、その上に古い土をかぶせただけの乱暴な土づくりがしてあったが、しばらくすると立派な葉が伸びてきて、緑の好きな私には目の保養になったのであった。
 たまに水をやる以外完全に放ったらかしにしていたが、葉もそろそろ枯れてきたりしたので、萎れた葉を処分しようと抜いたところ、根の周りから、小粒の子ジャガイモがたくさん出てきたのである。
 これって食用にできるのだろうか?
 Imo
 洗ってみたらきれいな芋であったが、果たしてどうしよう。また芽を生やせて土に放っておこうか。

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2010.06.20

ひとり酒

 もともと引っ込み思案、人見知り、人目を気にしすぎる、という弱い人間なもので、一人で飲食店に入るのは苦手であった。「あの人ひとりで食事しているわ、可哀そう」と思われているのではないか、さもしい姿を知人に見られてしまうのではないか、という不安がどうしてもともなうのである。せいぜい、入れるとすれば、ラーメン、牛丼などの丼物屋か、ファーストフードといったところであろうか。実際、私以外の多くの人もあまり一人で飲食店に入ることはないと思うのだが、最近は女性一人で焼肉屋やら鍋物屋やらに入る人も多いらしく、その勇気はうらやましい限りである。
 私がそうした一人食事を克服するきっかけは、学生時代の海外旅行であった。日本では一人で食事はしづらいが、海外一人旅では必然的に食事も一人となる。知り合いに会ったりしないので、恥ずかしさもない。旅先で出会った人と食事をすることもあったが、移動の多い私の旅のスタイルでは、結局一人メシが多くなる。誰かが一緒にいない食事は味気ないのだが、そのうち、一人で飲む酒、というのが「自分に酔う」という効果をもたらし、意外といいものだ、と思うに至ったのである。
 まず、一人で飲みに行く楽しさを教えてくれたのが、学生時代に行ったイギリスのパブであった。今では日本でも多くみられるようになった、キャッシュオンデリバリー(注文のたびに支払い)のしくみで料金の心配なく酒を飲める。海外の飲み屋で一人で飲む、といことに大人になった気がしたものである(自分に酔っている)。
 他にも海外のホテルのバーで、英語で注文するとか、真昼間のオープンテラスで優雅に飲むとか、海外の一人酒は自分に酔えることしきりであった。
 しかし、学生時代からの海外旅行でそうした経験をしても、日本の飲み屋に一人で行けるようになったのは、中年まっただ中になったようやく最近のことである。『ドリフ大爆笑でいかりやさんが最後「だめだこりゃ」って言うようなコントの居酒屋のセットにあるような飲み屋』に一人で入るのが憧れであった。友人や妻と入るのは全くフツーだが、そこに一人で入る、というのはどう間をつなげていけばいいのか空気感が読みづらい。
 友人や妻と行く居酒屋にはすでに一人で来られているその道のベテランがいらっしゃるのだが、その方々は、店員や女将さん、もしくは常連の客同士の会話を楽しんだり、一人でグラスを転がしたりと、その時間の使い方が巧みである。そうした先輩の行為を参考にしながら、それでも地元の飲み屋は勇気がいったので、最初は大阪の飲み屋に入ってみた。カウンター形式のその店は年配のママさんがいる店であったが、さすが、関西人、一見の客にも適度な会話をふってくれて、心地よい時間を過ごすことができた。ひとり酒ってほんとうにいいですね、というアル中の戯言。

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2010.06.06

読書量

 傍から見て「教養があるなぁ」と思える人の多くは、10代の頃(中高生)、ものすごい読書量があるように感じる。一方私と言えば、10代の頃、ほとんど本を読んでいないのである。だから教養があるなぁ、という感じがしないのであろう。大人になるまで、教科書等でかかわったもの以外は、古典的な名作にもほとんどかかわっていないのである。最近の若者の活字離れが進んでいるなんて言われているが、その意味では当時から私は最近の若者であった。
 そんな私の読書量がかわったきっかけは、大学に入って、大学生協で「割引」で本が買える!ということが分かってからであろう。ようやく少し読書量が増えた。フツーの読書家であれば、大学時代は学校の近くの古本屋で本を買って濫読するのであろうが、まだ新しい本を買うことが中心であった。夏目漱石などのスタンダードを読むようになったのも、大学に入ってからという遅咲きの読書家であった。
 もっと読書量が増えたのが、社会人になって、仕事に関わる専門書を読みだした頃である。すでに30歳近くになっていた。また、通勤電車というのは本を読むのに時間的に非常に都合がよろしい。
 その後である。結婚して図書館に近いところへ引っ越したのであるが、そこからやっと趣味が読書であると言える生活が始まった。なにしろ図書館の本は無料であるので、吝嗇家である私には好都合であった。金に糸目をつけず、もとい、金をびた一文使わず、興味のあるテーマ、著者の本を多読できる。ある本を読んで気になるテーマがあれば、そこからリンクする関連書籍を続けて読む、という読み方で、ノンフィクションを中心に平均週3~4冊読んでいる。特定の作家やジャンルを読む、と言う人が多いとは思うが、私の読み方は興味が持てればあらゆる方向に散っていくので、てんでバラバラの方向性になる。
 現時点では、近現代日本経済の父である渋沢栄一氏に関わる本を読み進めるうちに、論語というテーマに行きついた。何を今さら、という感じだが、私は論語を深く知らずして、長幼の序を重んじる論語の考え方は、創造性の発揮や自由な経済活動を阻害する古い考え方、という偏見があり、食わず嫌いだったのである。しかし渋沢氏が論語と算盤、すなわち論語的倫理観と経済活動の両立を唱えているように、孔子が唱えた、と弟子たちが伝えるメッセージのひとつひとつはきちんと読んでみると、奥深いということにやっと気づけたのである。
 こうした発見のあるチェーンスモーキングならぬチェーンリーディング(?)は図書館という無料ツールがあるからこそ私にも可能なのである。本当の読書家はお金を出して本を買うものらしいが、本当の読書家でない私には図書館が唯一の手段なのだ。最近書籍は電子化の方向に向かっているが、電子書籍がすべて課金されたりして、図書館が無くなってしまう、ということだけは避けて欲しいものである。

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