2006.10.15

cornflakeがコクサイモンダイを語る

 このブログでは、あまり政治的なはなしを書かないように心がけて来た。私は新聞を読まないし、いい歳をして語れる程の知識と情報を持ち合わせていないのだ。以前酔った勢いに任せて小泉前首相のはなしなどを書いてしまったが、自分でも何がいいたいのかよくわからない。きっとテレビのコメンテーターか雑誌の評論の受け売りだったのだろう。
 新聞をとっていないのだが、我が家の郵便受けには親切な新聞販売店から「試読紙」というのがたまにタダで投函される。その新聞を読んでみると、「キタ」が地下核実験をしたらしい。あ、それは新聞を読まなくても知ってましたよ。じゃぁ、コクサイモンダイでも語ってみようかといったところだ。
 厄介なはなしである。世界の大勢の国から見ると、あちらは何を考えているかわからないヘンテコ国家であるが、当事者はひどく真面目なのだろう。組織というのはそういうもので、その中にいると世間の非常識が常識になってしまうことがある。身近なところでは会社、学校、部活、などで他から見るとヘンテコな論理で動いていることはよくあるものだ。それにしても、今回のケースはそのヘンテコぶりが周りに迷惑をかけている(もしくはかける恐れがある)のが困ったものだ。核武装すれば国際社会で対等に渡り合える、というのは一面では成立してしまっているのも否定はできないが、件の国家はまた別格である。より叩かれる。
 今回の制裁は核実験に対する懲罰行為という意味合いの他に、あの北の政権を何とかして欲しい、という国際社会の声にならない願いも含まれている、というのが私の考えだ。核実験前から北への制裁は始まっていたし、今回の実験がきっかけでそれが世界的な論調になってしまった、というだけである。そこでこれからの「北」について少し考えてみたい。
 世界的な判断基準からみておかしい(世界の平和への挑発的行為だ、国家的な犯罪行為だ)からといって正義を振りかざして制裁をする、というのは一見正しいのだが、長期的な世界平和にとって何がベストなのか、と問えば、また別問題である。大多数の国にとっては、例の政権が崩壊して北に民主政権が誕生して自由な国家が生まれる(将来的には南北が平和的に統一される)というのが理想的なシナリオなのだが、制裁という行為がそうしたストーリーに結びつくとは限らない。
 日本が対米開戦に至った時のように、世界的な経済封鎖が暴発を生んでしまう(特に時代遅れの軍事独裁国家には)恐れだって十分考えられる。最近の北の「アメリカが対話に応じないからやむなく」という論理は、そうした昔の論理に似通っていなくもない。
 また、仮に北の政権が世界の思惑通りにある日突然なくなったとして、恐怖政治下で何十年も自由な言論がなかった国に安定して自由な政治体制がすぐ生まれるとも考えづらいし、南北を統一するにはあまりにも経済格差が開きすぎてしまっている。大量の難民という形で安定した南の経済を不安定にしてしまう可能性もある。
 現代の世界経済は自由な貿易と情報のやりとりによるボーダレスな受給関係なしには成り立たず、それなくして経済の発展はない。北の一般市民がそうした豊かさを享受するには、まだ長い道のりが必要である。
 長い目で見て、北の一般市民が無血革命によって民主主義政権を立ち上げる、というのを待つしかないが、経済制裁だけでそうしたシナリオが動きだすとは思えない。経済制裁は国の政権だけでなく、一般市民の生活も苦しめるであろうから、一般市民が立ち上がる体力さえ奪ってしまいかねない。タイの軍事クーデターのようなわけにはいかないのだ。反対の方法はアメリカがイラクでとったような大量の犠牲を伴う破壊になってしまう。それでは近隣国の日本も安穏とはしていられない。
 現実論としては経済封鎖よりも、政権そのものの暴走を完全に「無視」して、民間貿易の扉を世界各国で勝手に開いてしまう、という方法を見つけるのが早道だ。簡単に見つからないけど。北の民間人が(偽札や麻薬などの手段によらず)経済的活力をつけるように世界中がよってたかって仕掛けて行く、という方法はないものだろうか。という投げかけでこの論を終わる。
 

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2005.03.09

社会保険4分の3問題

 昨今のアルバイトをしている人達は、できれば社会保険に入りたくない、と考えている。昔であれば、アルバイトで「社保完備」という会社はそれだけで充分人をひきつけたものだが、今はとんだやっかいものである。特に年金制度に対する不信が根強いと思う。それでも、その会社の社員など常用労働者の概ね4分の3以上の労働時間、日数で勤務するアルバイト(パートタイマー)は、強制的に会社で社会保険に加入しなければならないとされている。
 仕事柄、人事の仕事をしているので、社会保険とは無縁で入られない。特に、私の会社はアルバイト労働に負うところが大きい産業なもので、アルバイトの社会保険加入は大きな問題だ。
 5年くらい前には、会計検査院が企業に調査に入り、社会保険未加入のアルバイトを見つけ出して、会社に対して「おめぇら、社会保険料おさめてねぇんとちゃうんか?」という要求をつきつけて、過去の社会保険料まで含めて遡及徴収する、ということがよくあった。うちの会社にそうした調査が入ることはなかったが、それでも社員の4分の3以上働いているアルバイトは、強制的に社会保険の資格を取得させてきた。法的に問題はなかったと思っていた。
 しかしこの4分の3というのが非常に曖昧である。解釈の仕方によっていかようにでも捉えられるのだ。明確なボーダーラインがよくわからない。
 先日上司から、「よく、社員の4分の3以上っていうけど、明文化された法律ってあるの?」と聞かれた。社会保険に関するマニュアル本にはほぼ全て「社員の4分の3以上働いたら社会保険に入れるべし」と書いてある。しかし、よく考えてみると、はっきりした法律の条文を見た事はなかった。早速インターネットや書籍でそこらへんを調べてみた。しかしどこを読んでもそんな決まりは書いていない。徹底的に調べてみると、それらしき怪しい記述を見つけた。
 一言で言うと、「法律や通達で明確に示された明文規定はない」ということだそうだ。すなわち、法的な根拠がないまま、過去に会計検査院の調査にあった企業は国に多額の追徴保険料を納めていたのである。
 調べると、昭和55年頃厚生省の保険局あたりの課長が書いた文書が根拠になっているらしいのだ。その文書は「内簡」(ないかん)などと呼ばれる。部内通達といったところだろうか。
 過去、企業が金を払わされて来た短時間労働者の社会保険料は、明確な法律がないまま、企業が親分(国)に対して納めて来た上納金のようなものと言えるのではないだろうか。法治国家としてこういうのはアリなのだろうか。私はまともに法律の勉強をしたわけではないので、適切な批判ではないのかもしれないが、こうした徴収というのは許されるものなのだろうか?ちょっといい加減すぎるような気がする。
 専門家の方の解釈を伺いたいものである。

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2005.02.22

価格破壊

 一昔前、いわゆるバブルの頃と比べると、モノやサービスの値段って、ずいぶん安くなった。代表的なところで、不動産の価格は下がっているが、今まで高くて当然と思って来たものが、結構安くなっている。
 15年くらい前、大前研一氏がその著作の中で、「日本の理容店は高すぎる、今の半分の値段に出来るはずだ」という意味の事を述べられていた。確かに理容店の息子である知人の話によると、家賃等を考慮しなければ、一日4人の客をさばけば、一家を充分養っていける儲けになるそうだ。つまり、かなり粗利の高い構造の仕事だったらしい。しかし、大前氏の意見通りその頃から2000円や1000円の床屋が増えて来た。現在はちょっと凝った髪型やお洒落を目指すなら、カットだけで数千円をとられる美容室、単なる散髪目的であれば低価格の理容室、黙って座ればこちらの希望の髪型がお見通し!を臨むなら馴染みの理容室、と言った住み分けが出来ている感じだ。
 価格破壊と言えば、従来「安かろう悪かろう」だった低価格衣料品の世界で、低価格高品質で市場をつかんでいるユニクロやしまむらの動きも見逃せない。
 また、眼鏡というのも高価格が当たり前の商品だった。いつも50%OFFセールをやっていたりして、正規価格がよくわからないのも特徴だった。しかし眼鏡屋さんというのは客がいつも一人いるかいないかで、店員さんが暇そうにディスプレーの眼鏡を拭いている光景が一般的だったが、実際は非情に粗利の大きい仕事のひとつだったようだ(推測)。Zoffをはじめ、低価格眼鏡店が最近増えて来ている。何年かに一度買う眼鏡から、あたかもワードローブの様にいくつも持って着替えるという眼鏡の持ち方が一般的になってきた。
 こう考えてみると、日米構造協議によって、様々な価格破壊が行われて来た時代から久しいが、まだまだ値段を落とせる商品、サービスはいっぱいあるのではないだろうか。そうした産業で価格破壊のリーダーになった会社が次の世代の優良企業になるのかも。こうした視点で次のビジネスチャンスがつかめるだろうか。
 私は専門家ではないので、安易に批判はできないのだが、コンピュータのソフトウェアの世界も、はじめに「何人月」かかるからお値段はいくら、といった、供給者側主導の価格設定である事が多い。メーカーなどは、骨身を削る思いで、まずこの価格で売る為にはどれだけ工程の無駄やコストを削減できるか、という取り組みをするものだが、システムの世界では、「これだけ人手がかかってるんだからこれだけもらって当然でしょ」と言った塩梅で、こういう世界はまだ価格破壊の余地があるのでは、と思ってしまうのである。余計なお世話か。

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2004.09.14

税金のはなし

 彼岸が過ぎ、冬が近くなると「今年ももうすぐ年末調整の季節だ」、などと大半のサラリーマンは思わない。個人事業主の方は、確定申告で最終的な所得税を確定するので税金に関する意識が強いが、サラリーマンは知らないうちに(源泉徴収で)税金をとられて、ほとんど会社まかせで自動的に年末に税額が調整されるので、納税者としての意識が希薄だ。したがって行政の税金の使い途への関心も薄い。たまに税金の無駄遣いをマスコミに指摘されて気付く程度で、ほとんど普段意識の俎上にのってこない。国民の過半を占めるサラリーマンは、したがって国にとっては都合の良い「正しく納めて使い道に文句を言わない」優良納税者である。
 私もそんなサラリーマンのひとりであったが、会社の担当上、年末調整事務に一部携わった経験があり、税金のおかしな面を垣間見た。日本の税金は高いという人もいるが、消費税が比較的少なく、各種控除制度のある所得税をあわせて考えれば、それほど税金の高い国ではないと思う。高いと感じるのはひとにぎりの高額所得者だけで、扶養者が多くてそれほど高所得でないサラリーマンで、かつ住宅ローンなどかかえていれば、所得税はタダ同然である。しかし納税の義務は憲法に定められているわけだから、本当に生活に困窮している人は除いて、所得税はもう少し公平な負担になってもいいのではないだろうか。それゆえ、直間比率を変えて消費税率を上げるという議論が起きるのもやむをえないか。もっとおかしなのは保険料控除制度である。生命保険料や損害保険料を払っているというだけで税金が安くなるという意味のわからない制度である。加入者増加のために保険会社の圧力で導入された控除制度なのだろうが、ほとんど貯蓄商品に近い郵便局の簡易保険まで控除の対象になっている。
 まぁ、税金が安くなってくれるのはありがたいが、公平かつ応分の負担というクリアな税制にしてほしいものだ。いずれにせよ、サラリーマンはもっと行政の税金の使い道を追求しなければならないだろう。無駄遣いをなくせば、国の税収そのものもそれほど必要なくなる。そうした意識を醸成するには、結局のところ、源泉徴収と年末調整方式で企業が処理をほとんどするのではなく、源泉徴収は残しつつも全員確定申告方式が現実的だと思う。今の税額表乙欄程度の税率でとりあえず源泉徴収し、ほとんどの人間が確定申告すれば税金が戻ってくる仕組みにすれば、多くの人が確定申告に抵抗はないだろう。サラリーマンであれば、脱税などを指摘される恐れはないだろうし。確定申告窓口も今より数や場所を増やし、国民のためのサービス色を強くした場所にすべきであろう。
 税金に関してはほとんど勉強をしていない素人の発言だが、こう思う人は多いのではないだろうか。

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2004.08.20

伝説の地方自治

 現在で言えば、石原東京都知事をはじめ、田中長野県知事、その他地方自治の首長が国政に対抗して住民のニーズを考えた、革新的行政を行うことが増えて来た。非効率で、住民の意思を軽視した行政は「お役所仕事」として侮蔑の対象になっているが、いつの時代でも住民の為を考えて行政を行っているところがあるものだ。全国的に有名なところでは、ドラッグストアでおなじみの松本清市長(松戸市)などがかつては有名だったが、偶然手にした本で、都政に真っ向から立ち向かい、東京のもっとも辺境の区を、「ふるさと」になりうる住み良い区に再生したカリスマ区長が、かつていたことを知った。
 戦後のオリンピック準備の再開発からも取り残され、台風では恒常的に水浸しになり、23区を数える時にもっとも最後に数えられる「東京都江戸川区」を魅力ある区に作り替えた故中里喜一元区長である。
 中里区長を知ったのはちくま文庫の「痛快ワンマン町づくり」(早瀬圭一著/1993年<原著は1989年新潮社刊>)という本である。
 水害の区であった江戸川区に「雨が降っても長靴をはかなくて済む町にする」という公約で昭和38年に区長に当選してから、約35年間、江戸川区を日本一住み良い町にするという信念のもとに、思い切った行政を進めて来た伝説のお方である。正直この本を読むまで全く存じ上げなかったのであるが、NHKのプロジェクトXを超える涙、涙のドラマチックな行政の連続である。ホタル・プロジェクト、親水公園の建設、保育ママ制度、都政の渇水対策への反発、区独自採用の断行、開発公社の設立、国保徴収に主婦パートを活用、ゴミ不法投棄阻止のための道路封鎖など、区民のためなら体をはって国すら相手取って戦う強烈なカリスマ首長である。
 現在でも高齢者にとっても、若年者にとっても、行政施策上は住み良い区になっているようだ。地方自治でも時折、民間に勝る「顧客本位志向」のトップが現れる。こういったリーダーが現れたとき、そこで働く人々も、そのサービスを享受する人も、幸せになれるはずだ。
 

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2004.07.03

年金のはなし

 年金改革から年金未納問題まで、年金をめぐるマスコミの報道、政界の動きは混迷を極めている。
 普通のサラリーマンにとっては、毎月控除される年金保険料はあまり気にならないのが現実だ。実際は所得税より高額の控除がある社会保険料(年金、健保、雇用保険含む)について自覚がある人は少ない。サラリーマンが給与明細で目を通すのは、基本的に最終の銀行振込額だ。税金が高いと文句を言う人も、社会保険料の高さに文句を言う人は少ない。実際厚生年金基金のある会社に勤めるサラリーマンにとっては、その一部が年金ではなく、退職金として運用されていたり、その基金が代行返上をして厚生年金基金ではなくなったりと、フツーほとんどしくみが解らない人が多い。
 所得税にしても、サラリーマンで確定申告をする人は少ないから、税金の問題も年金の問題もほとんど意識することなく、関心も少ないのが実情だ。ただなんとなく、年金や雇用保険料がよからぬ役人によって無駄遣いされているらしい、というマスコミの報道によって、とりあえず怒ってみたりしているのが実情ではないだろうか。
 しかし、最近の男性週刊誌の報道は、そうした役人批判の一方で、「あなたは年金をいくらもらえるのか」というテーマの記事が多く、多くのオジサマの心境は、自分がいくらもらえるのか、という主題にシフトしている。
 年金未納(未加入)期間のある政治家は批判的に報道されているが、今のオジサマ世代は、自分がもらう年金分ほど、年金保険料を納付していない人が多い。逆に我々の世代は、自分が払った分も年金がもらえないのでは、という不安がある。若者の年金不信は自然な感情だ。だってこれから子供は減って、自分たちが老人になるころには、その年金を支える財源はないのだ!
 昔、アルバイトで「社保完備」といえば、優れた会社のように思えたものだが、今、法定の基準でアルバイト、パートを社会保険に入れようとすると、猛反発を食らう。フリーターの皆さんは、社会保険料なんて払いたくない!のだ。
 大方の国民感情は、年金保険料は払いたくない、年金はたくさん欲しい、役人はけしからん、という矛盾した感情に支配されている。福祉政策には財源が必要だ、という根本的な視点が抜け落ちている。
 本質論として、年金の充実した国になるのか否か、財源をどうするのか、といった議論はあまり国民の間では起こっていない。しかしこのまま若者が老人の年金を負担する今の体系はすぐ破綻するだろう。これを会社負担の社会保険料増額で負担して行くというのも国家の政策としていかがなものか。
 最近報道された出生率を見ても、国が豊かになるほど子供は減って行く(仮に子育て優遇政策をとっても豊かな国では子供を生まない)のは間違いない。今後は富める老人が貧しい老人の年金を負担していくしかないのだろうか。
 

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2004.04.21

パレスチナの短い春

 1993年9月13日。この日イスラエルのラビン首相とPLOアラファト議長による「パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)」の調印が、クリントン大統領の立ち会いのもと、ワシントンで行われた。中東情勢が最も平和に近づいたように感じた一日だった。
 ちょうどその日、はじめての海外旅行でワシントンに来ていた。中東情勢についてはほとんどまともな知識を持っていなかったので、そんなことが行われるとはそこに到着するまで知らなかったのだが、偶然その歴史の一ページを体験することができた。
 前日には、ホワイトハウスの前にやぐらが組まれ、報道関係者がごった返していた。当日は朝、ワシントン記念塔に登ろうとしたのだが、入り口で今日は登れない、と警備員に制止された。偶然持っていた「ワシントンポスト」の一面を見せて「これのせいか?」と聞くと、「そうだ」との返事。ホワイトハウスへのテロを警戒してのことだろう。
 仕方なく、モール地区(リンカーン記念堂から国会議事堂までの広場)をぶらぶらしていたが、特にホワイトハウス前を、観光客らしからぬ男性がばらばらに徘徊しているのがわかった。彼らは黒装束であごひげともみあげを伸ばしていたので、おそらくユダヤ人であろう。頭に小さな被り物(キッパと呼ぶのだろうか)をつけている人たちが多かった。集団ではなく、一人から三人程度で歩いていた。彼らは、和平賛成なのか反対なのかわからなかったが、少し不安げな表情に感じられた。
 その後ラビン政権のもと、イスラエルは和平に向けて、具体的に前進しているように見えた。しかし、1995年11月、極右過激派「エヤル」の青年イーガル・アミールによってラビンは暗殺されてしまった。以後政権はペレスが引き継いだものの、次第にパレスチナ人と敵対する方向に進み、パレスチナの短い春は終わった。
 今日になっても、イスラエル対パレスチナの対決は凄惨を極め、自爆テロや要人の暗殺、多くの民間人の犠牲など、和平とは反対の袋小路にはまってしまっている。国連や英米、アラブ諸国、そして当事者達も平和解決の方法がみつからないままだ。
 紛争に関わるユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、おおもとの神様はひとつであるのだが、神はなにゆえに彼らを争わせるのだろうか。

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