2006.06.08

いいとものはなし

 フジテレビ系列のお昼の定番である「森田一義アワー 笑っていいとも!」は、既に25年、6000回を超えているらしい。お化け番組である。番組が始まったのは、漫才ブームの影響を受けた「笑ってる場合ですよ」の後だったので、当時「笑ってる〜」の熱烈なファンであった私は、少し反発してしばらく見ていなかったと記憶している。
 そもそもタモリさんの話芸は当時からマニアックな世界のものであったので、笑ってる場合ですよの笑いとは少し方向性が変わると想定していた。放送開始から数ヶ月して、ラ・テ欄に面白そうな見出しが並んでいるのを見て、番組を視聴してみると、思いのほか面白かった。くだらない企画もあったものの、センスのいいコーナーもあり、大爆笑という類いではないが、実力のある芸人さんやタレントさん、文化人のレギュラーにより、バラエティ界のヘッドライナー的な位置づけが確固としたものになってきた。
 開始当時はタモさんもやる気がないのを売りにしており、辞めたい、と何度も口にしていたし、テレホンショッキングなどもハプニング性が多く、現在の予定調和的な進行とは趣が異なっていた。
 一方で、どんなネタにも大爆笑する「いいともの客」というのは、客から芸を磨かれることを是とするお笑いタレントなどには逆に敬遠され、大物お笑い芸人が何人も番組を後にしていった。
 それでもこれほど長く続いたのは、ハプニング性の時代からいい意味での「マンネリ」に番組を変容させたから故、と言えなくもない。笑点などにも同じ事が言える。最近はタレントこそ入れ替わっているが、タモリさんが壊れ、それを芸人がなだめるパターン、テレホンショッキングの進行など、一定の様式美(?)が出来上がっていると言えなくもない。めちゃくちゃ面白いわけではないが、華やかなので何となく見てしまう、というのが大勢の印象だろう。
 そんな誰もが知っている「いいとも情報」はさておき、5年程前に発見したことがあるのだ。実は東京に出てくる地方出身の女性は、地方にいた頃、いいともの観客席に座って観覧することが夢だった、というヒトが意外と多い、ということである。一種の都会的な華やかな世界への憧れ、ということになるのだろうか。
 いいともを生で見たいのが、地方の10代から20代の女性とすれば、地方の中高年の女性は、みのさんの番組を見に行きたい、と思っているのだろうか。ここ数年、芸能界やセレブリティ、テレビ業界に憧れているヒトが減っている様にも感じるが、やはりテレビってのは日本中に浸透しているすごいメディアなのだろう。

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2006.02.25

テレビ見ない

 NHK放送文化研究所の調査「2005年国民生活時間調査報告書」によれば、20代など、若い世代でテレビを見る割合が減っているそうだ。新聞を読む人も全体的に減っているらしい。
 思考を停止してだらだらテレビを見ているより、他のことに時間を使っている若者の判断は「賢明」である。テレビばかり見ている人間はボケやすいというはなしもある。だからこうした傾向に個人的に危機感はないのだが、逆にマスコミは今後そのありかたを見直さなければならないだろう。
 テレビや新聞は、その収益の多くを広告収入に依存しているが、広告主の売りたい商品の主要購買層のテレビや新聞離れが進めば、広告主も戦略を変えざるをえない。テレビを見ている層が、無職層や高齢者層ばかりになっては、コマーシャルを流して購買意欲を刺激しようとしたところで、意味がなくなってしまうのである。また、家庭用VTRの登場から技術進歩したHDD録画に至るまで、リアルタイム視聴が減ることによるCMスキップの問題もかねてからある。
 むしろ、Yahoo!などポータルサイトのホームページ広告の方が、ターゲットを絞って広告を打ったり、費用対効果が見えやすい広告の運用が可能になりそうである。
 昨年はホリエモン被告などが、「ネットとテレビの融合によるシナジー効果」をうたって、テレビ業界のおじさま達から総スカンを食っていたが、あのはなしもあながち的外れでもないのである。現時点ではその効果がよくわからないとはいえ、テレビ業界はそうした何らかの新財源確保の策を講じなければヤバいことになるだろう。
 っつっても、我が家では相変わらずダラダラテレビ見てますけど。

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2006.02.17

「冒険もの」求む

 最近のスターウォーズのヒット、テレビでのアニメ、ワンピースや西遊記のヒットを見ても、視聴者の多くは映画やテレビ番組に「冒険もの」を求めているような気がする。
 私も子どもの頃、絵本の「エルマーのぼうけん」やテレビアニメ「未来少年コナン」など、主人公があちこち冒険していくはなしに胸躍らせた記憶がある。ガリバーにしろ、トムソーヤーにしろ、古くから冒険っていうのは子どもの心をわくわくさせる要素を持っている。
 しかし、スターウォーズも西遊記(テレビドラマ版)も、過去のヒットの続編や焼き直しであり、目新しいコンセプトではない。もはや世界には冒険心を刺激する秘境など僅かになっていて、その活路を宇宙に求めたのが「スターウォーズ」であるが、そうした夢物語も全て使い古された感がある。
 現代では子どもだってインターネットやテレビで世界中の秘境や未知の土地のおおよその情報を得ることが出来る。地の果てみたいなところに行っても、グローバリゼーションの進展で同じような近代的生活をしているヒトが多い今日このごろである。世界の極地や高山も先人達に既に踏破されている。
 こんなとき冒険ものをつくるのに手っ取り早いのは、誰も知ることの出来ない「未来」や「過去」にタイムスリップする場面設定をすること、もしくは調査の進んでいない海底や地中に未知の文明を創出してしまうことなどであるが、これも使い古されている。もちろん宇宙ものはもはや古典的ですらある。
 そこでこれら全てのベクトルと違う新しい場面設定の方向性を構築することができれば、絵本にしろ、小説にしろ、映画にしろ、テレビにしろヒット間違いなしだと思うのだが、私の脳みそでは考えだすことができない。誰かセンスのあるヒトに発明してもらって、みんなの心をワクワクさせて欲しいものだ。

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2005.11.15

モノマネの系譜

 モノマネの世界では、誰でも知っているスタンダードってものがある。しかしそのモノマネがスタンダードになるまでに、それを確立したモノマネ芸人がいることも忘れてはならない。
 意外に知られていない事だが、今ではモノマネの古典となっている故・ジャイアント馬場の「アッポー」、長嶋茂雄氏の「どうもぉ、長嶋です」といった、数々のモノマネをメインストリームに乗せたのは関根勤氏である。今では関根氏はマニアックなモノマネの開発者としての地位を確立しているためか、こうした古典のクリエイターとしての側面が見逃されているような気がする。
 金八先生の物まねも現在ではジョーダンズ三又氏のモノマネが一般的だが、基本的な様式を確立したのは松尾伴内氏であると思う。
 たけし軍団と言えば、ビートたけし氏のモノマネの確立には歴史的変遷がある。初期の頃は肩をカクカク動かして「コマネチ!」というのがスタンダードだったが、10年ほど前に松村邦洋氏の「松村コノヤロウ!」という形式が生まれ、そこから派生したココリコ遠藤氏開発の「ダンカン コノヤロウ!」が一般的になっている。しかし、ビートたけし氏がダンカン氏やタカ氏など軍団のトップクラスを叱責している姿を最近みたことがない。なぜか「ダンカン コノヤロウ!」がスタンダードになってしまった。
 最近はかつての故・田中角栄氏(まぁこのぉ)、森進一氏(おふくろさんよぉ)というような、誰もができるモノマネが生まれづらい状況が続いている。人気のモノマネクリエイター達が開発したものまねも、フォロワーがでないのだ。コージー富田氏のタモさん、原口あきまさ氏のやべっち、ホリのテリー伊藤氏など、どれもクオリティが高いが、逆にクオリティが高く、難易度が高すぎて後が続かないのである。もともとモノマネというのは最も古典的でプリミティブな芸の一種であるが、昨今のモノマネ芸人というのは昔に比べて高度な技術が求められる職人になった、ということだろう。
 

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2005.04.28

未来少年コナン

 子供の頃からテレビのアニメ作品はあまり見なかったので、同じ世代と「懐かしのアニメ話」をすることになってもなかなかついていけない。そんな私が子供の頃唯一熱狂して見たアニメが「未来少年コナン」である。
 当時幼稚園児だったか小学生だったか覚えていないが、NHKのゴールデンタイムに放送されたコナンにかなり夢中になった。その後、民放でも複数社放送され、UHFも含めて、数年に一回どこかで放送されている不朽の名作である。そして最近NHK教育テレビで毎週放送されていたので、HDに録画していて、とうとう最終回を迎えた。最初に見た頃から20年以上30年近くたつわけであるが、作品の面白さは全く色あせていない。
 この作品はアレクサンダー・ケイという作家の「残された人々」という作品を大幅に脚色してアニメーション化した作品である。小学生の頃、学校の図書館でその作品の邦訳(児童版)を読んだが、アニメのコナンとは結構違う作品だった。詳しくは知らないが、かのアレクサンダー・ケイ氏はロシアかどこかの当時共産圏の人らしく、作品にも大きくその影響が出ている。誰かの解説を読んだ事があるが、この「未来少年コナン」はマルクス主義をわかりやすく物語化したものだということだ。インダストリアが資本主義社会で、ハイハーバーもしくは残され島が共産主義社会を表しているらしい。
 子供心にそんな事は全く意識がなかったが、単純に荒唐無稽で「自然」と「未来」が共存するハラハラドキドキの活劇に胸躍ったのだった。
 何より、あの宮崎駿氏が絵コンテで参加しているこの作品は、かなり歴史のある「宮崎アニメ」の代表作でもある。脚本その他は別の方が担当しているのではあるが、あの上空の雲の描写や人物のキャラクターなどは、まさに宮崎作品そのものである。宮崎アニメについては、ラピュタが好き、トトロが好き、ナウシカが好き、と人それぞれ好みがあるが、私にとっては「未来少年コナン」が最初にして最高の作品である。

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2005.04.06

紳介さんのはなし

 島田紳介さんといえば、現時点でのお笑い界でもっとも先頭を走っている人と言えるかもしれない。
 漫才ブームまっさかりの頃、紳介竜助はそんな好きな方ではなかったが、ある日こんなネタをやっていたのに衝撃を受けた。

竜助「いやぁ、もりあがってますねぇ、漫才ブーム」
紳介「お前知らんのか?漫才ブームもう終わってんねんで」

 誰もが疑っていなかった漫才ブームの終わりを告げる歴史的漫才だったのだ。
 紳介さん竜助さんはコンビを組む前に、このコンビは長く続かない、短期間で売れる漫才をしよう、という話し合いをしたそうだ。コンビ解散もケンカ別れではなかったという。その後も紳介さんは司会者などとして、常にテレビ界の第一線で活躍している。常に先を見通してプランを立てられる芸能界一クレバーな人、といったところか。
 少し前のことだが、そんな紳介さんが暴力事件を起こした。当人も周りも多くは語らないので、深層は薮の中だが、先日紳介さんが10年前にサンデー毎日に連載していたエッセー「紳介のH・愛・ジョーク」を読んだらこんなことが書いてあった。長渕剛さんが大麻に捕まったときの紳介さんの文章の部分である。
  〜自分の人生棒にふるのはばかばかしいじゃないですか。一の快楽を得るために、百失うんやから。たとえば、捕まった長渕さんがこれからもし二年間活動できなかったとしたら、一体いくらの損失か。個人所得でも数億円でしょう?大麻と数億円は、合わん。だから、絶対おかしい。大麻なんかする必要ないんです。お金や、仕事や、すべての百を失うんですよ。同じ失うにしても、こういうことならあるかもしれない。たとえば、自分が生きて行く上で、すごい屈辱を受けた、と。男として許せへん。今、ここで殴らないと一生後悔するという時。その時は、ぼくは百失っても、そいつを殴るかもしれません。それは、他人にとっては一かもしれんけど、ぼくにとっては百以上のものや。〜
 今回の事件はまさにこれだったのではないだろうか。一生ものの屈辱。
 しかし紳介さんはテレビ界、視聴者から求められる形でテレビに復帰できた。百失うことはなかった。
 一昔前のベタな漫才でよく使われたフレーズ「これからの漫才師は頭がよくなきゃいけない」。結局漫才ブームで生き残ったのは頭のいい人達ばかりである。

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2005.02.28

サザエさんって...

 妻が好きなもので、日曜の夕方にテレビ「サザエさん」を最近よく見る。少し前にカツオの声が富永さんに変わった時は、ちょっと若い声に違和感を感じたものだが、最近は全く違和感はない。
 ところで、サザエさんは日本の家族の象徴として私が子供の頃から「ほのぼのした」和みをもたらす良質なテレビ番組である。基本的にテレビ版は、昔朝日新聞に連載された長谷川町子先生の4コマ漫画のエピソードをベースに、10分ほどのショートストーリーにまとめられている。けっこう多方面の作家さんがストーリーを作っているとも聞く。
 そもそも昭和20年代から40年代の世相を背景に作られた話なので、21世紀の現実と乖離する恐れのあるものも多い、しかし人の営みというのは、時代を経てもそれほど大きく変わるものではないのか、現代の話として見てもそれほど不自然な感じはしない。
 しかし、最近のテレビ版サザエさんを見て、とても違和感を感じることがひとつある。それは花沢さん(花沢花子)のカツオへの熱烈な求愛行動である。昔の花沢さんは、もうすこし奥ゆかしくカツオへの恋慕の思いを表現していたように思うのだが、最近の花沢さんはいやに直接的だ。花沢さんがある程度登場するエピソードにはかならず直接的な求愛を表現する言動が見られるのだ。少し不愉快ですらある。
 昔の小学生(特に原作の朝日新聞版サザエさんの掲載期)は、「男子」「女子」の住み分け(ナワバリ)が厳密で、男女間で好きだの嫌いだのを言うような環境はなかったのではないか。ひとたび誰かが誰かを好きだなどという話を聞きつければ、クラス中ではやし立てるような大騒動だったはずだ。
 最近は幼稚園から小学生まで、男女間で好きだの嫌いだのを言い合うのがフツーになってきている。そうした時代背景を考慮しての花沢さんの変貌なのだろうか。私の思い違いで、昔から花沢さんはああなのか。
 原作のサザエさんをきちんと読んだ訳でないので、花沢さんの本質的なキャラクターがどんなものだが知らないのだが、もう少し花沢さんをなんとかして欲しいものだ。
 いち花沢ファンとして。愛をこめて。

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2005.02.12

マジカルミステリーツアー

 BeatlesのMagical Mistery Tourは、マネージャーのブライアン・エプスタイン氏が亡くなった後の最初の作品である。CDの方はテレビ映画のサウンドトラック的なアルバムだが、それに加えて当時のヒットシングル曲がおさめられていて、たいへんお得なアルバムでもある。
 昔購入したCDの解説にはこう書いてある。
 「こうして完成されたテレビ映画『Magical Mystery Tour』は(中略)驚異的な視聴率75パーセントを記録した。しかしマスコミやジャーナリストの評論は、『これ程のクズは見た事がない』『無意味なナンセンス』といった具合に辛辣を極め、ビートルズの犯した初めての失敗と見なされた。」
 この解説を見た当時高校生だったころ、まだマジカルミステリーツアーの画像を実際に見た事がなかったので、解説の内容そのままに、相当ひどい内容なのだろうと想像していた。
 社会人になって、実際の映像を見る機会があった。女性の友人がビデオを持っており、友人何人かでビデオを見る事になった。
 見て驚いた。
 まず、ビートルズがかっこいい。これはまぁ当然として、細かく挿入される彼らの「悪ふざけ」はナンセンスギャグとしてかなり高い次元のものであった。正直笑いの世界として、めちゃくちゃレベルが高い。サザンの桑田さんのように、ミュージシャンが映画をとったりすると酷評されることがあるが、このビートルズの作品ははっきりいって、彼らがコント作家としてもハイレベルな事を証明するに足る内容だった。確かにプロの評論家、特にシニカルでアイロニカルな笑いを求めるイギリスの評論家には低俗&低レベルに写りそうだが、オースティンパワーズなどに通じるアメリカンなおバカで無意味なお笑いの世界においては、古典として重要な意味を持つ作品になっている。このグダグダ感が好き。
 発表からもう40年近く経つ。今はもうポール師匠(ラッキ−7)とリンゴ師匠(ハイヒール)しかいないんだね。ハリスン氏のAll Things Must Passを聞きながら、思い出に浸るおじさんであった。スミマセン、今日は酒飲んでますので文章がめちゃくちゃです。

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2004.12.01

映画の日

 先週は妻と「ハウルの動く城」を見て来たが、今週は妻が見に行かないであろう映画をひとりで見て来た。会社の休みと1日のファン感謝デー(映画1000円の日)が重なったためだ。単館上映するような映画は暗かったり小難しかったりするので、妻はあまり好まない。私が昔連れて行った映画が偶然皆暗かったせいで、アレルギーができているようだ。
 今日は恵比寿で「モーターサイクルダイアリーズ」を見て来た。ご存知の通り、キューバ革命の立役者の一人、チェ・ゲバラの若き日の旅を描いた傑作の評判の高い作品だ。エルネスト・ゲバラの南米縦断旅行については、ちょっと前に戸井十月さんの「チェ・ゲバラの遥かな旅(集英社文庫)」で読んでいたのだが、ほぼその内容に沿った話であった。
 正直本を読むまでチェ・ゲバラについては「キューバ革命の英雄で反逆のヒーロー」「Tシャツに描かれる偶像」といった認識しか持っていなかった。本や映画から伝わる若き日の伝説的革命家は、正義感と問題意識を持った一人の誠実な若者だった。当時の南米の貧困と大国や資本家による搾取という現実を目の当たりにして彼の心に何かが目覚める。アルゼンチンの比較的恵まれた医学生が革命家になる転機となるのは「外国への旅行」であったのだ。
 映画そのもので大笑いしたり大泣きしたりはなかったが、この一人の若者が旅で得た「思い」が、やがて大国を打ち負かし、中米の島国でカストロと革命を成功させたという歴史を考えると感慨深いものがあった。
 キューバ革命後、ゲバラはいったんはキューバの代表のひとりとして世界を外遊したりするが、やがて中南米全体を巻き込んだゲリラ闘争に身を投じ、最後には捉えられCIAの手によって射殺されてしまう。
 武力による民衆の開放という方法の是非はともかく、当時の中南米にはそうせざるをえないような状況があったのだろう。現在のイスラム国家におけるテロ(当事者はジハードと呼ぶ)も、似たような背景を持っているような気がする。正義を信じる若者の命がそうした戦いで失われてしまうのはなんとも惜しいことだ。
 
 

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2004.10.04

ミーちゃんケイちゃん

 私が小学校へ入る前だったろうか、かなり小さい頃である。ピンクレディの登場が国民的旋風を引き起こしていたのを覚えている。今のアイドルの比でなく、大多数のテレビ視聴者がピンクレディに夢中だった。子供達には憧れのおねぇさんとして、年頃の狼達にはセクシータレントとして大人気だった。
 洋楽調のポップな音楽に意味不明(?)な歌詞。子供が真似したくなる特徴的な振り付け。年端も行かないガキであった我々の会話にもピンクレディの話題は登ってきていたのだ。
 そこで当時絶対に話題に登ったのが、ミーちゃんとケイちゃんどっちが好き?というテーマである。これは男の子でも女の子でも必ず話題にしたはずである。私はケイちゃん派だった。私の周りの子供達も2:1でケイちゃん派が多かったと思う。ミーちゃんが健康的でスキのない女性であったのに対し、ケイちゃんはどちらかというと、か弱く踊りも下手というのが少年の心にぴったりきていたようだ。そもそもまだ女性の魅力を判断できないおこちゃまであったので、髪の長い女性=いい女という単純な図式が私の頭にあったのも否めない。
 しか〜し!大人になって、飲み会の席などでそんな話題をすると(ピンクレディは時々再結成したりするので忘れられない)、同年代から上は10歳から下は5歳の幅を持って聞いてみても、圧倒的に「ミーちゃん派」が多いのだ!この事実を発見して驚愕した。私はマイノリティだったのだ!ショートカットの女性が人気を得たのは広末さん以降だと思っていたが、そんなショートカットの系譜があったとは!
 それにしてもピンクレディのブームは非常に短期間だったと思う。小学校になって新聞(朝日新聞)を見たら、客が入らないピンクレディの悲しい末路を記した記事があったのを覚えている。その後解散コンサート(後楽園?)をしていたようだが、山口百恵さんやキャンディーズのように全盛期で引退、解散したのと違い、寂しいものだったようだ。
 ところでみなさんはどっち派でしたか?

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