2005.11.16

鎌倉

 私は日本中あちこち旅をしたのであるが、意外と関東地方の観光地というのはそんなに行っていない。古都鎌倉も今まで1回しか行ったことがなかった。それも小学校時代の家族旅行に大仏を見に行っただけである。東京都に昔から住んでいる人は、自分が住んでいる地域以外の東京について詳しくなく、千葉や埼玉の人の方が東京全体に詳しい、という現象が見られる様に、関東地方の人間にとって、関東地方の観光地というのは、いつでも行けると思っているとあまり行かない、ということがよくある。
 そんな鎌倉に妻と久々に訪れた。東京からは結構時間がかかるが、通勤圏の範囲内である。今回はそれほどあちこちまわらずに、若宮大路と鶴岡八幡宮界隈のみ、というスタンダードを押さえた散歩だった。まずは某有名店でそばとわらび餅を食べる。行列の出来ている店だったが、値段のわりに量が上品で、少し物足りなかった。
 七五三を控えた秋の神社は結構なにぎわいである。神式の結婚式をやっていて、関係ない参拝客がギャラリーとしてその周りをとりまいていた。ここでの結婚式は良く言えば大勢の人に祝ってもらえる。悪く言えば、見せ物である。
 鎌倉というのは、鎌倉彫をはじめ、並んでいる商店が趣があり、他の観光地と違って下品な土産物屋が少ない。そんな街をのんびり散歩をするのも楽しいものだが、いかんせん人が多い。平日にのんびりきたらいいのだろうか。
 その後、ホットケーキが有名という古い感じの某喫茶店に入る。ホットケーキを焼くのに30分かかると言われたが、15分くらいで出て来た。フツーに街中で見たら入るのを躊躇する古びた喫茶店だが、中は大混雑で、むしろ古都鎌倉にマッチしている、ということかもしれない。
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2005.11.04

ハリウッド

 ハリウッド大通りに行ったのは’93年のことである。従って、現在のハリウッド大通りとは趣を異にしているかもしれない。これは、あくまで、「当時」の街の印象であることをお断りしておく。
 チャイニーズシアター、ウォークオブフェイム、といった映画の都らしい観光スポットは当然あったのだが、はじめて彼の地を訪れた私が感じた第一印象は「田舎くさい」という一言であった。大通りには、お土産屋やら観光客向けの店が数多くあるのだが、どれも皆垢抜けない。
 ハリウッドと言えば映画の都であるが上に、その当時をもってしても、世界のエンターテイメントの首都でもあるわけである。その当時どころか、もう半世紀以上映画の都なのである。
 しかし、どうもローカル色が抜けきらない感じなのだ。この街を垢抜けなくしていたのは、そこに訪れる私も含めたお上りさんのオーラによるものかもしれない。また、当時は地下鉄もハリウッドまで通っておらず、バスで行かなければならない場所でもあった。
 もともと学生時代は金がなく、映画などあまり見ていない人間にとってハリウッドデビュー(?)はまだ早かったのかもしれないが、ちょっとがっかりした記憶がある。
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2005.10.30

喜多方

 会津若松からちょっと北に行ったところにある喜多方と言えば、まずラーメンが思い浮かぶ。食にまつわる街おこしで成功した希少な例だと思う。別名「蔵の町」というらしいが、全国的には圧倒的にラーメンの方で有名である。
 喜多方の方々に言わせると、ここのラーメンのうまさというのは、この地の水の美味さによるものなので、東京で喜多方ラーメンのチェーン店で食べるラーメンでは、いくら同じ製法で作っていても、水が違う以上同等の味にはならないらしい。
 それはさておき、そのラーメンを食べるため、若い頃友人数人と喜多方へ車で乗り込んだことがある。標高の高い地域らしく空が近い感じがする。高原の風という訳ではないが、風が心地よい。そして静かな町であった。
 さて、ラーメン屋探しであるが、困った事に、ここには無数のラーメン店があるのだ。平日の昼間っから行列のできている店もあれば、フツーの街中の中華料理店やその他飲食店のようなところなど様々である。そして行列ができている店だけが美味いということでもない。喜多方と言えば、一般的には醤油スープ・平打ち麺ということらしいが、実は麺やスープも店によってある程度バラエティがあるようだ。
 友人の姉のススメの店をあらかじめ聞いていたので、駅にほど近いフツーの中華料理店のような目的の店に入った。午後1時すぎだったが、ごくフツーの混み具合。チャーシューメンを注文する。
 出て来たラーメンは、子どもの頃食べたラーメンに近い味わいだった。アブラを多用したり、トッピングにこったりするラーメンが流行りはじめていた時代にあって、何の癖もない、ラーメンのスタンダードを味わったような、すがすがしい感動を覚えた。あ、本来のラーメンってこれのことだったのかも。やはりこのシンプルさは、喜多方の水がなせるわざか。

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2005.10.22

フィレンツェ

 正直、私はフィレンツェを旅の「中継点」としてしか過ごした経験がない。ヴェネツィアからミラノへ向かう途中で、宿泊のために立ち寄った、というのが実態である。当時(学生時代)イタリアのことはさして予習せずに旅行したので、ルネサンス文化と美術の宝庫であるフィレンツェにはほとんど目がいかず、小学生時代から行ってみたかったピサの斜塔に気持ちが奪われていた。
 街の入り口はサンタマリア・ノヴェッラ駅であった。夕刻の到着であったので、すぐ宿を探す。最初の宿は日本人と相部屋になりそうになり、先方の日本人が露骨に嫌な顔をしたのと、相部屋になるほど街の宿は混雑していなかったので、すぐ隣の宿に宿泊した。
 さて、私のこの街の観光はたった数時間だった。駅近くのカフェテリアでピザか何かを食べた後、ドゥオモの周囲を散歩した。もちろんクーポラへ登る時間が終わっていたので、周りからの見学である。2月ということもあり、観光客はほとんどいなかった。周りはフリーマーケットもしくは露店になっており、Tシャツやらなにやら色々なものを売っていた。
 私のフィレンツェ観光はこれだけで終わりである。今思うと実に惜しい。ウフィツィ美術館、ヴェッキオ橋といった『最低限押さえておくべき』観光地を全く触れずに通り過ぎてしまったのである。そもそもピサに心奪われて夕刻到着早朝出発という宿泊地にしてしまったのだからしょうがない。是非もう一度行ってみなければならない街である。
 ちなみにこの旅行は卒業旅行で、同行の友人は学部の手続きの都合で帰国日が異なり、後半は別行動ということになっていた。ニースで別れて、友人はその後ミラノ→フィレンツェ、私はヴェネチア→フィレンツェ→ピサ(日帰り)→フィレンツェという行程をたどっていた。数日後、偶然フィレンツェの出発を待つローマ行きの列車の中で友人と予期せず再開してしまったのだ。広いイタリアで偶然再開っていうのも奇跡的だ。
 というわけで、フィレンツェについては多くを語れない。

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2005.10.07

タモン(グアム)

 日本から最も手軽に行ける海外ビーチリゾートとしてグアム島の人気は高い。そのグアム観光の起点となる、ホテルやショッピング街が集中しているのがタモン地区である。人気ホテルやブランドショップがここに集まっているが、島内を循環するバスに乗れば、郊外のショッピングモールに行くことも可能。
 いずれにせよ、日本でツアーに申し込めば、だいたいこの界隈のホテルに泊まることになる。私たちは、飛行機+ホテルでホテルは自由に選択、というフリーツアーで行ったのだが、ホテルの位置関係がよくわからず、タモンの中心から少し離れたホテルを選んだ。タモンの中心というのは、だいたいDFSギャラリアのあるあたりだろうか。ツアーバスやレンタカーなどの移動の道具を確保していない人は、このあたりの宿をとるのが正解だ。というのも、私たちのホテルはそこから歩いて何分かのところだったのだが、歩いて行ける距離とは言え、炎天下歩くのは相当キツい。バスもそんなに頻繁に来る訳ではないのである。グアムでは海に入ったり、買い物をしたり、プールで遊んだりといろいろ遊び方はあるが、用事はほとんど日本語で事足りる。観光客のほとんどが日本人だからだ。意を決して英語で交渉をしようとして、簡単に日本語で返事をされてガックリすることが多い。
 DFSのBGMも何故か日本語の放送が流されており、東野幸治氏離婚のニュース(当時)を放送していたのが印象的だった。何か日本人が海外に遊びに行っているというより、日本のリゾートで、外国人が働いているような錯覚すら覚えた。

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2005.10.06

ヴェルサイユ

 大ヒット漫画「ベルサイユのばら」(池田理代子作)がなかったら、日本人にとってヴェルサイユはヨーロッパの巨大宮殿のひとつだったかもしれない。それでもやはりここがヨーロッパ王政の贅沢さの象徴となる場であることも間違いない。
 ヴェルサイユに行くまでは、てっきりここはパリの一部だと思っていたが、パリ郊外のまちのひとつらしいのだ。
 パリからPERに乗って終点につき、ちょっと歩くとすぐ宮殿が見えてくる。観光客でごった返す切符売り場で結構並んで入場券を購入。この段階では、それほどここの大きさには気がつかないのだが、宮殿に入って、その奥の庭園を見渡すとき、度肝を抜かれるのだ。「先が見えない・・・。」庭園と森林の境目の区別がつかないのである。庭園をちょっと歩いて彫刻やら池やらを見て歩こうとしたが、当然全部見る事は不可能。フツーは大運河の手前の部分をぐるっと周遊する程度だろう。宮殿の内部の豪華絢爛さや、貴族の生活の一部を垣間みるのも一興だが、やはりこの庭園のでかさは圧巻である。日本の皇居=江戸城の敷地もでかいけど。

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2005.10.02

小樽その2

 北海道の街に行くと、とりあえず海産物を食べようとしてしまうのは人情である。人情派の私は小樽を訪れた夜は寿司を食べにいくことにした。ガイドブックで目ぼしをつけ、「地元の人でにぎわう」とのキーワードに惹かれ、妻と二人で、駅からやや離れた寿司屋に向かった。小樽には寿司屋が集まった通りがあり、フツーの観光客は、そこらへんをまわるのであるが、ターゲットはそこよりやや奥まったところにあるあまり目立たない寿司屋だった。
 寿司屋というのは飛び込みで入るには少し勇気がいる。オヤジが恐かったらどうしよう、値段が法外だったらどうしよう、雰囲気が部外者に冷たかったらどうしようなどと考えてしまう。それに美容院やファーストフードなどと違って、寿司屋の中というのは覗き込めないところが多い。目ぼしをつけていた寿司屋は、値段はそれほど高くない、と調査済みだったが、やはり中はよく見えない。入り口の引き戸の曇りガラスの上部に少し透明な部分があった。しかし客のいる気配が感じられない。
 逆の意味で入りづらいのだ。あまり繁盛している気配がないし、本当に「地元の人」で賑わっているのか?やはり入りづらいので、妻と「別のところにしようか?」ときびすを返したところ、ふと別の窓から外を覗く年配の男性と目が合った。
 店の人なのか客なのかわからない。しかしオジサンは間違いなくこっちを見ていた。そしてオジサンは人の良さそうな人だった。客にしろ店員にしろどちらでもいい。やさしそうなオジサンがひとりいた!とのことで意を決して店に入ってみた。
 すると、店にいるのはさっき外を見ていたオジサン=大将そのひとひとりきりだった!
 気まずい。
 客の居ない店舗にあえてカウンターには座らず、大将と距離を置いて座敷に座った。出て来た寿司は文句なく美味かった。頼んだイクラが品切れ(!)だったのだが、代わりに別のネタを複数サービスしてくれた。この客数でネタの仕入れを考えるのは非常に苦労するだろう。値段も時価などなく、全て明朗会計でお安く済んだ。店を出ると、別のカップルが店に入るか「どうする?」と悩んでいるところだった。立地と雰囲気で損をしている店だ。

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2005.09.30

小樽その1

 小樽と言えば、運河と海産物とガラス工芸あたりが有名である。しかし、私達が真っ先に向かったのは石原裕次郎記念館である。故石原氏については、「太陽にほえろ」のボスとしての記憶しかなく、更にカックラキンが終わるとテレビを消していた我が家では、「太陽にほえろ」もまともに見ていない。従ってあまり思い入れもなかったのであるが、ここははっきり言ってファンでなくても見る価値が高い。まさに昭和を代表するスターとしての人生、映画への熱い思い、セレブリティの生活の輝かしさと苦悩といったものがたっぷりつまっているのだ。晩年の石原氏はものまねタレントのゆうたろう氏にそっくりであるが、若き日の姿はそれはスターそのものである。そして兄新太郎氏とともに、役者・裕次郎氏もやはり多彩な人であったのもわかる(子どもの頃の絵や工作や書が思いのほか上手い)。入り口付近に合成写真が撮れるコーナーがあるが、関根さんや小堺さんとの合成写真も飾ってあったのが印象的であった。
 この記念館は小樽の中心地からは少し遠く、小樽築港駅から歩くか、思いきって小樽からタクシーで行く、というパターンになる。
 さて、観光スポットの小樽運河界隈であるが、正直絵になるのは、写真で紹介されたあのアングルくらいで、意外と狭い範囲が観光できる範囲であった。
 一本裏道の境町通りのガラス工芸やらアクセサリーやら海産物やさんやらを冷やかしてあるくのも観光にはいいが、個人的に欲しいものはなかったので、妻とずっと歩いていると結構疲れた。
 気になったのは、昆布の専門ショップがたくさんあったこと。そこには必ず「7日食べたら...」といった昆布の健康美容効果を謳う看板の他に、必ず「お父さん預かります」と書いてあったことだ。これはどういう意味?やっぱり小樽と言えば女性陣がきゃーきゃー廻るのにもってこいなかわいらしい街なので、退屈したお父さんは昆布屋でこぶ茶でもすすっとるべや、という事なのか?証拠写真を撮ったつもりが、何故か肝心の文字の所に通行人が被ってしまい、何だかわからず。液晶の小さなカメラなので、日中はよく見えず、被写体を確認せず撮ったのが失敗だった!
konbu

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2005.09.27

ウィーン

 少なくとも19世紀後半までは、世界の文化の中心地のひとつであったとも言える隠れた大都会がウィーンである。
オーストリアはドイツ語圏なのであるが、ドイツ語は大学の第二外国語で選択はしたものの、簡単な挨拶程度しか出来ないので、旅行は英語で行くしかない。しかしどうもドイツ語圏の地名英語というのはウィーンをヴィエナと言わなければならなかったり、チューリヒをズーリックと言わなければならなかったりと、同じゲルマン民族のくせに言い換えがややこしい。ちなみにドイツ語でも正しくはウィーンでなくヴィーンだったりするのでいっそうわかりにくいのだ。
 20世紀になって世界の中心地で無くなったのは、やはり栄華を誇ったハプスブルク王朝がなくなったというのが大きそうだ。それゆえに当時衰退に向かっていた19世紀末のウィーンというのは、いわゆる「世紀末」的な、退廃的で耽美的な建築・美術が見られる。そんな世紀末感を味わいたくて、1999年7の月、20世紀末も押し迫った終末論がかまびすしい時にひとりでオーストリアに旅立った。
 ここを訪れる時、事前の予習が意味をなすのは「第三の男」鑑賞である。モノクロ映画の超有名作であるが、ストーリーとは別に「ウィーン観光案内」的要素も多く、これを見ておけば、単なる観覧車や路地裏が非常に意味を持って見えてくる。そして、ウィーンという街は映画を撮影した時代と対してかわっていないなぁ、という感慨にも浸れるのだ。
 ウィーンと言えばフツーはケーキやカフェが有名であるが、私にとって、ウィーンとは「昼間飲む酒」との出会いの場でもあった。それまであまり昼間に酒を飲もうなどと考えたことはなかったが、ウィーンの街中のオープンカフェで飲むビール、郊外のホイリゲで青空の下、「ジョッキ」で紅白のワインをガブ飲みする楽しさを味わって以来、すっかり昼酒がごちそう(?)になってしまった。世紀末都市ウィーンはアル中への入り口でもあるのだ。

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2005.09.24

ミラノ

 ミラノはファッションの都らしい。しかし、ヨーロッパの観光地はどこでもそうであるが、夏のバカンスシーズンに行くと、現地の人はあまりいなくて、街を歩く人のほとんどが観光客である。そんなわけで、私がミラノを訪れたときも街行く人はそんなにお洒落という感じでもなかった。とりあえず世界標準のジーンズや短パンにTシャツ、チノパンにワイシャツという代わり映えのない人達ばかりだった。ホテルも駅前のそこそこ高級なホテルを予約したのだが、ドレスコードなどなく、客は短パンのおっさんばかりであった。欧米人夏場短パン履き過ぎ。
 空港からミラノ中央駅に行ったのだが、駅は想像を絶する馬鹿でかさだ。ここらへんでは有数のターミナル駅であるのは事実であるが、こんな立派な建物にする必要があるのか。やっぱり歴史ある国ならではなのか。
 ミラノと言えばミラノ風カツレツである。これも駅前のレストランで頼んだが、思いのほか美味い。10年前にローマで食べたミラノ風カツレツはたいして美味しくなかったが、やはりミラノ風はミラノで食べた方がいいのだ。でもミラノで食べてるから「風」はいらないか。しかしウィーナーシュニッツェルとの違いは今もってわからん。
 そしてミラノを代表する建築物と言えばドゥオモである。しかし私の訪問時には残念ながら改装中で、足場や養生、カバーなどで覆われており、全体像を捉える事ができなかった。それでも屋根の上には登る事ができた。狭いエレベーターがあり、ゴシックの細かい部分を上から観察することができる。
 ちなみに美術面で一番有名な最後の晩餐(サンタマリアデッレグラツィエ教会)の見学には予約が必要なようである。

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