2005.04.23

1993年アメリカの旅17(エピローグ)

1993年9月22日
 今日でアメリカの旅も最終日。
 ポートオーソリティバスターミナルからバス($11)に乗ってジョンFケネディ空港へ向かう。
 空港で$5.39の昼食をとってユナイテッド航空で帰国。

〜最終日はほとんどメモをとっていなかった。機内でみた「デイブ/大統領になれなかった男」という映画が思いのほかいい映画だったのを記憶している。帰りの飛行機は何度か軽い乱気流に巻き込まれたこと、エコノミークラスには必ず泣いているあかちゃんが1人は乗っていることなども印象に残っている。この旅を通じて、何とか英語での初歩的なコミュニケーションに自信がついた一方で、あまりの英語力のなさに自己嫌悪に陥ったという側面もあった。とりあえず今回の旅行で見たボストンの風景が妙に心地良かったので、同じ雰囲気をもっているであろうと勝手に想像したイギリスに行きたくなった。この旅行は夏休みの後半のものだったが、秋の学園祭シーズンで授業がなくなるころに、もう一度海外旅行にひとりで行ってみよう、という気になった。そんなわけで次回のシリーズは「1993年イギリスの旅」である。

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2005.04.20

1993年アメリカの旅16(ニューヨーク6)

1993年9月21日
 今日も友人Hと一日別行動にした。
 朝マック$2.8。
 数日前行ったメトロポリタン美術館があまりにも楽しかったので、今日も行ってみる事にした。入場料$3。
 今回興味を持ったのは、世界の楽器の展示である。見た事もないような世界の楽器が並んでいた。一番気になったのはSARRUSOPHONESというもの。Sarrusという人が発明したとある。全部で17のキーがあるそうだ。簡単に言ってしまうと、オーボエやファゴットのようなダブルリードで、先にサックスのような金属管が付いている楽器だ。吹いてみたい。でも展示品だから吹けない。(著者注:黒沢隆朝著『世界楽器大辞典』(雄山閣)によれば、、「サリュッソフォーンは、、ファゴットの吹口を金管に利用したもので、、フランスの軍楽隊長サリュスの名をとって1856年、楽器匠ゴートゥローが発表したとも、1863年サリュスと共同で発表したともいわれ、これもコントラバスからソプラニーノまで6種ぐらい作られた。フランスの作曲家サン・サーンスやマスネーが愛好したが、軍楽隊ではサクソルン属、そしてサクソフォーンが開発されてから、低音楽器だけがまれにオーケストラに用いられるだけで、今日ではめったにみられない楽器となった」そうである。)
 ↓もうひとつ、管楽器の他に太鼓類↓も面白かった。memo002
ひるめしは美術館前の屋台で1$25¢のホットドックを。バッジをつけていれば、美術館には何度も出入りができるのだ。
 おやつはボストンでも見かけたau bon pain(ベーカリーカフェ)でオレンジジュースとアップルクロワッサン2.93$。ばんめしはいつものsbarroで5$70¢くらい。それでも足りなかったので牛乳とバナナも買って帰る。
 こうしてアメリカ最後の夜を迎えた。

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2005.04.19

1993年アメリカの旅15(ニューヨーク5)

1993年9月20日
 今日も遅く起きてブランチを食べてから、サークルラインへ乗船することにした。サークルラインは、数週間前、ひとりでNY旅行をしていた地元の友人にオススメ!と言われていたので、乗ってみる事にした。船でマンハッタン島を一周する観光船である。世界貿易センタービル、バッテリーパーク、自由の女神、ブルックリン橋などの有名な橋、国連、ヤンキースタジアム、対岸のニュージャージーなど、数時間の遊覧でマンハッタン島の外観を全部見る事が出来る。$18。9月も下旬にさしかかり、船上は結構寒かった。
 その後世界貿易センタービルへ行ったが、少し前の爆破テロの影響で登る事ができない(著者注:911ではなく、最初のテロの事)。その後ウォール街などを散策した。
 その後友人Hと各自自由行動にしようということになり、ひとりでセントラルパーク、カーネギーホール、IBMビル、などを見て回り、パークストリートをだらだらと歩いた。
 昼飯はマック、晩飯はテリヤキチキンと食事がパターン化している。
 今日は延泊しているホテルの残り料金$84を払った。

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2005.04.14

1993年アメリカの旅14(ニューヨーク4)

1993年9月19日
 今日もブランチはsbarroで。H(同行の友人)のプッシュで、ヤンキースタジアムに野球を観に行く事にした。地下鉄はトークンで$1.25。ヤンキースタジアムに着いた。HはもともとNFLのキャップをかぶっていたのだが、売店でヤンキースのキャップを買い、にわかヤンキースファンになっていた。
 当日券のチケットを買おうとしていたら、内野席はもう満席だという。外野席の切符を購入し、$6.5。正直ヤンキースの選手も相手のレッドソックスの選手も知らない(著者注:当時伊良部選手や松井選手がこのグラウンドに立つなどとは予想も出来なかった)。とりあえずメジャーリーグの雰囲気を満喫することにした。そしてとりあえずホットドックなども買ってみた($2.75)。
 外野のライトスタンドは熱狂的ヤンキースファンばかりだった。柵を隔てた一段上にレッドソックスファンがいて、お互い楽しそうに罵りあっていた。日本と同じだ。日本の応援と違うのは、トランペットなどの楽器を使わない応援である。ひとり日本で言ったらスワローズファンみたいなオジサンが、アルミカップのようなものを鳴らして拍子をとっていたくらいだ。
 7回あたりには観客全員が立ち上がってなにやら歌を歌う。歌詞はわからなかったが、口をパクパクさせって雰囲気だけ観客と一体になった。
 試合は熱狂的ファンのいる我々外野席にポンポンホームランが飛んでくる楽しいものだった。選手は一人もわからなかったけど。
 ヤンキースタジアムを興奮の中後にし、地下鉄でマンハッタンの宿に戻った。
 そして晩飯はまたしてもsbarro$6.80。毎日ピザとパスタ漬けである。
 暗くなりかけてから、エムパイアステートビルに上った。エレベーター$3.75。展望台は上空の風を感じる事が出来、マンハッタンを一望できる絶景だった。そこでニューヨークの日暮れを体感した。
 ビルから降りると外は完全に真っ暗。街にひとけもなくなり危険な感じもしたが、安全な五番街をかけぬけて、一気に宿に戻った。

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2005.04.12

1993年アメリカの旅13(ニューヨーク3)

1993年9月18日
 朝食はバナナとミルクを購入して1$25¢。
 昼はタイムズスクアにある日本のどんぶりや風の店でチキンテリヤキ丼を食べた。テリヤキという言葉はすっかりアメリカに浸透しているみたいだ。
 今日は窓口でチケットを購入したブロードウェイでのミュージカル鑑賞だった。超有名ロングランミュージカル「キャッツ」である。事前にストーリーの勉強はしていたので、英語でも内容はわかったが、途中で寝てしまった。まぁ、本場のミュージカルを体験できた、というところか。$37.5。
 その後メトロポリタン美術館へ行った。
 正直この美術館はすごい。アメリカにありながら(まだ行った事はないが)ヨーロッパの教会のような荘厳な内装とドラマチックな展示方法。正直展示してあるものは歴史的価値があるのかどうかわからなかったが、さすがにエンターテインメント大国アメリカだけあって、展示にわくわくさせられる。特に中世ヨーロッパの甲冑(鉄仮面?)の展示はかっこ良かった。また来たいと思った。
 バスに乗ったが、札が使えないことに気づく。あわてて小銭をかき集めてなんとか1$25¢捻出できた。
 今日はタイムズスクエア近くの薬局にコンタクトの保存液を買いに行った。アメリカならではのトラベラーズチェックでの買い物をした。店員に「これ本当にあなたのサイン?」のようなことを聞かれてどぎまぎして帰って来たが、後から考えればT/Cを使う時は、パスポートを見せて身分証明をするのが普通だったのだ。
 またもや馴染みになったHOP WONでばんめし$4.25。NYでの食事はマックかsbarroかHOP WONばかりになってきた。

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2005.04.10

1993年アメリカの旅12(ニューヨーク2)

1993年9月17日
 マンハッタンのどまんなかにあるホテルマンスフィールドに3連泊することにした。$126。
 ブランチはいつものマックでビッグマックミール約$6。
 今日は国連本部の日本語ツアーに参加した。$4.5。料金は大人$6.50、学生$4.50、シニア$4.50、5歳から14歳はいくらかわからないが、5歳以下は入場できない。
 ばんめしはNYへ来てから完全な馴染みとなったsbarroでピザ、サラダ、オレンジジュース約$6。
 今日は国連を見て、思い思いに散歩するたいへんのどかな日であった。

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2005.04.08

1993年アメリカの旅11(ニューヨーク1)

1993年9月16日
 駅コン(弦楽三重奏)を朝7時からやっていた。
(著者注:この日はボストンからニューヨークへ向かった。この「駅コン」がボストンだったかニューヨークだったかは不明)
 ニューヨークのペンステーション地下へ到着。地上へ出ると、大都会ならではの人々の「パワー」に圧倒された。
 宿泊地はホテルマンスフィールド。気さくなおにいさんがフロントにいる、一泊42$。
 昼食はsbarroのピザ&サラダ(でかい)で6$80¢。
 ばんめしはHOP WON EXPRESSで焼きソバチャーハン&春巻きのコンボにルートビールをつけて5$06¢。正直食べきれなかった。
 街中にある旭屋書店にいった、日本の本ばかりたくさんある。発売からちょっとだけ遅れた日本の雑誌を読む。フジテレビアナウンサーの逸見さんが癌を告白していた。しばらく見かけなかった日本の情報がこれである。ちょっと衝撃を受けた。

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2005.04.04

1993年アメリカの旅10(ボストンその2)

1993年9月15日
 素泊まりの宿だったので、あさめしは恒例のマックだ。2$35¢。
 今日の行程はは友人Hと自分とで行きたいところの意見が割れている。自分はボストン美術館、Hはハーバード大学。結局両方行く事にした。
 まず午前中にボストン美術館。広重ファンなので、是非有名な浮世絵コレクションを見たかった。しかし行ってみると、浮世絵コーナーは閉まっていた。他の美術館に貸し出しているのだろうか。
 地下鉄の移動はトークンで85¢。続いてハーバード大に行く。ひるめしは餃子定食で6$。
 ハーバード大の生協でハ バ ドと日本語で書いてあるTシャツを売っていた。伸ばす音を示す横棒がハイフンに見えたのだろう。天下のハーバードなのだから、もう少し日本語を学んで欲しい。また、生協でニュースステーションに出ているアルトマン京子さんらしき人を見かけた。本人だろうか。

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2005.03.31

1993年アメリカの旅9(ボストン)

1993年9月14日
 夜行列車でワシントンDCからボストンへ着いた。
 観光案内所で地図を入手し、とりあえず街の中心地のめぼしいところを見て回った。
 最初、「地球の歩き方」で目ぼしをつけていた宿(ロングウッドイン)は満室と言われ、そこで紹介されたビーチツリーインという宿へ行ったらそこも満室で、ボストンの隣街のブルックラインというところの32ブルックラインマナーゲストハウス、すなわち「領主の館」というところに泊まった。男二人の旅だったが、女の子なら確実に瞳がキラキラするようなれんが造りのメルヘンチックなところだ。素泊まり2泊で60$34¢。ランドレディの英語はほとんど聞き取れない。
 ブルックラインはれんが造りの建物が多く、行った事はないが「イギリスっぽい」と感じるとても美しい街だった。
 夜は日本料理店でスキヤキを食べた。15$50¢。とても美味かった。日本料理店は平日にもかかわらず満員だった。店を出たら現地の子供から「おいしかった?」と聞かれた。地元で自慢の店なのだろうか。
(著者注:以前のBLOGでも書いたが、ここ(ボストン郊外ブルックライン)はジョン・F・ケネディの生誕地であり、けっこうな高級住宅地であるようだ。街は治安もよさそうで、緑あふれるとても美しい街である。ただ、帰国後に日本の報道でここで殺人事件があったとも聞いた。)

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2005.03.29

1993年アメリカの旅8(ワシントン)

1993年9月13日
 あさめしは、カフェテリアのようなところで、3$98¢。
 新聞の自動販売機(お金を入れると路上のボックスのフタが開くタイプ)で友人Hが新聞を買ったら、自転車に乗った青年が「ちょっと待った!」と寄って来て、もう一部タダで持って行った。
 今日は昨日に引き続き、ワシントンDCの主だったところを回った。国会議事堂(セキュリティチェックが厳しかった)、OLD POST OFFICE(絵はがきを送る)、航空宇宙博物館(3〜4時間いた)などなど。
 ひるめしはお決まりのマクドナルドだ。店の地下に行ってトイレの位置がわからずうろうろしていると、黒人の店員が口笛で「こっちだ」と合図してきた。日本の接客とは違ってフランクでフレンドリー。小銭の両替分が切れていたので、友人Hから現金を借りた。
 今夜はまたも夜行列車に乗って移動する。そのため、地下鉄1$でユニオン駅へ行った。駅の地下はショッピングアーケードのようになっていて、そこでばんめしを食べる。中華風肉どんぶり(THE MEAT LOVERSという名前)と中国茶で5$ちょっと。
(著者注:当時のメモにはこれしか書いていないが、実はこの日のワシントンDCは歴史的一日なのである。PLOとイスラエル、つまりアラファトとラビンが暫定自治の合意(オスロ合意)にホワイトハウスで調印した日だ。中東情勢が最も平和に向かった瞬間であった。そのため、ワシントンはユダヤ系の人がいっぱいいたり、セキュリティが厳しくなったり、ワシントン記念塔に昇れなかったりと、いつもとは違う状況になっていた。ホワイトハウス周りは報道陣が溢れていたと記憶している。)

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