2008.06.20

内外価格差

(注)これから書く内容については、なんらデータの根拠の無く、酒に酔って書いている感覚的な内容なので、何かの参考にはしないでいただきたい。
 つい最近まで、「日本の物価は高い」ということが言われていた。確かに私が海外旅行を始めた90年代前半、欧米に行くと、もののあまりの安さにコーフンしたものである。購買力平価だのビッグマックだので比べても、日本(他には北欧など)は物価が高かった。最近まで、CDなんかも輸入版が圧倒的に安かったのである。
 ところがここ数年そうでもないようである。いろいろな統計上ではまだ日本は物価の高い国であるのはかわらないらしいのだが、実感としてユーロ高&インフレ気味のヨーロッパは、日本と比べて相対的に物価の安いところではなくなってしまった。というより日本の旅行者や輸入業者にとっては圧倒的に高いところになってしまっている。
 最近のシリーズで書いているイタリアなんて、私の学生時代には圧倒的に物価の安いところだった(リラの桁が大きいのでわかりづらかったが)。それが1ユーロ160円超えが当たり前の現在、実感としては日本の2倍くらい(の感覚)である。
 ヨーロッパに限らずバブル直後と比べると日本の円の力はかなり弱まっている。為替相場もマーケットに参入する参加者が昔より多く、金利その他様々な要因で相場が動くので、なぜ現在のような相場になるのか昔よりさらにわかりづらいが、実感としては1ドル、1ユーロが100円を切っても物価が釣り合う様な気がするのだが。
 つまり、以前のような「内外価格差」=日本の物価が高いというのは既になくなっているのである。

 一方気になるのは最近の石油・穀物等現物相場の高騰である。先日、夏の海外旅行で航空券の往復チケットを買ったのだが、一見安く見えた航空券がサーチャージで一気に高値になってしまった。基本的にサーチャージは片道分でネット等に表示されていることが多く、実際往復のチケットを買うと倍とられるのだ!(夫婦2人で買えば4倍だ!)
 話は酔っぱらいのため更に「飛ぶ」が、不可思議なのは小麦の価格である。政府が一元的に管理して価格を決めている麦価はなぜか世界の相場に連動して上がっている。影響で小麦を使う食品は皆値上がりしているのだ。一般的に国産の小麦はパンなどフツーの利用は難しいと言われる(品質が海外に劣る)。そんな国産小麦を作る農家を守るために(保護目的でお金を援助するため?/安い海外の小麦との価格バランスをとるため?)政府が高値をつけていたはずだが、更に値が上がっているのだ。もともと本来の価格の何倍もの(推測)値段がついていた小麦の価格を世界の穀物価格の上昇に連動して更に上げるなんて、「どんだけ国産小麦は(価格/品質面で)競争力ないねん!」とツッコミを入れたくなってしまうのである。
 ガソリンは「環境対策」という名目で高い税金を持って行くのはある程度理解できる。更に世界でほぼ単一の相場で動く石油が高騰するのはやむを得ない気がするが、日本の小麦の価格品質面での競争力確保のためでなく、特定の利権者にお金を渡すため(もしくは日本人に国産の小麦が高すぎるのを意識させないため)だけに、国民全体に犠牲を強いるこの管理価格制度って、いったいどんな意味があるのだろう。こんな時だからこそ相場の上昇ベクトルに連動せず、国民に安い(従来と同じ程度の価格で)小麦を提供すべきなんじゃぁございやせんか?

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2008.05.06

2007年イタリアの旅21「ヴァチカン」

 ローマ最後のビジネスホテル風のホテルの朝食はフツーすぎたので妻はちょっと不満げであった。
 そんな朝食をとってから、今日は今回の旅のもうひとつの目的、ヴァチカン美術館へ向かう。このヴァチカン美術館に学生時代訪れたとき、少し不思議な体験をし、人生が少しだけプラスに変わったのである。その場所をまた訪れたかった。 以前訪れたのは真冬であった。したがってそれほど並ばずして美術館に入場できたのだが、今回は噂に聞いていた通り入り口から壁伝いに伸び、コーナーを曲がって通りに面するまでの相当の行列であった。途中割り込みをめぐるバトルもあり、待っている間も退屈しないのであるが、結構待たされた。いざ開門すると、意外とあっさり入れるのではあるが。
 かつて不思議な体験をした場所はチケットを買ってエスカレーターをあがってすぐの場所であったと思う。今回は別に何の奇跡もなかったが、現在の自分を形成する分岐点となった(少し大げさだが)その場所に再び訪れて、全身に電気が走るような(雷に打たれるような)不思議な衝撃が走った。同行する妻にはその感情は伝えず、一人で静かに余韻を感じていたのである。
 あとはフツーに美術館を見学した。昔より観光客が多く、あちこちで渋滞を起こしている。そして奥の奥まで進み、「最後の審判」を見に行く。この絵は以前訪れたときは修復中で、レプリカのシートが上を覆っていて、本物を見ていなかったのだ。修復されたその絵は鮮やかな青色が印象的で、天井の創世記の絵と合わせ、圧倒的な迫力である。広間は見物客でかなりごった返していたが、しばし言葉を失って見入ってしまった。
 さすがカトリックの総本山。ここには何かあるのである。
 ヴァチカン美術館を出て、サンピエトロ寺院へ行く。
 ここは肌を露出する服はいけないとか、聖地だけあっていろいろ規制がある。参拝者はそんな対策用の衣類を持ってきている人がほとんどだ。私が以前訪れた時は、なんだか荷物の持ち方を注意されてクロークに預けるように入り口で指導された記憶がある。
 寺院も相当の行列であった。中も相当混んでいる。しかしここでは美術館のような(前述)奇跡的な体験とか衝撃的な体験はないのである。敬虔な信者ではないからだろうか。ただその建物の大きさと豪華さから、ローマカトリックの威力の大きさに圧倒されるばかりである。
 ヴァチカン市国を出て、昼食へ向かう。近くで比較的上品なレストランをガイドブックで探したが、まだ時間が早く(11時台)、開いていないようである。あたりをぶらぶらしてオープンを待った。ヴァチカンの周りにはこぢんまりしたヴァチカン日本大使館を発見。日の丸が見えたのでわかったが、普通の家屋という感じのところだ。微妙にイタリア国内にあるような位置だが市国にはそんな土地はないのだろう。
 レストランが開く時間になった。
 だいたいの客は外のテラスで昼食をとっている。他にいた客も金持ちそうである。右隣はいかにもリッチな雰囲気の家族が子連れで昼食をとっていた。
Photo
 このイタリア旅行ではじめて気づいたのだが、メロンに生ハムを巻く、というものは、今まで日本の気取った店が何か勘違いして出したメニューかと思っていたのだが、イタリアではこういったレストランで多くの客が頼む一般的なメニューだったのである。いままでの旅行はそういったメニューが出る店に入らなかったので(貧乏旅行だったので)、この歳になるまでまったく気づかなかった。
 レストランでは、ややふっくらした中年の男性ウェイターが我々のテーブルの担当だったのだが、配膳中、「英語は話せますか?」と聞いてきた。もちろんイタリア語はさっぱりなので「少しなら」と答えると、「日本人ですよね?日本人ならターキーを知ってますよね?」と言う。
 ターキーといえば七面鳥か水の江瀧子さんくらいしか知らない。知っていると言えば知っているが、知っているという範囲に入るのかわからずどぎまぎしていると、彼は注文用のメモ用紙に「TAKE」と書いて示した。「テイク?」と思ったが、彼は「ターキーはこの店によくくる私の友達だ。今イギリスでレースをしているけど」と言う。以上の情報を総合するとターキーとは武豊氏である。確か今海外のレースに騎乗しているはずであった。ウェイター氏と友達かどうか知らないが、競馬界ではヨーロッパでも武氏は名前が通っている人である。きっとこの店に何度も訪れているのだろう。確かに上品なレストランで味も良い。彼の様なセレブリティが来ても不思議ではない。
 そういえば現地の人と旅行に必要な会話(宿泊、飲食、乗り物利用など)以外の世間話をするのは久しぶりである。酒も入ってすこしだけいい気分。注文の手違いか何かで左隣のアメリカ人ぽいカップルとアイコンタクトで笑いあう、というシチュエーションになったので思い切って声をかけてみた。世間話その2である。
 聞くとカナダのトロントから来たカップルだと言う。トロントなら少し前にカナダ旅行で行ったばかりである。そんな話をしてトロントの印象を聞かれたのだが、私の英語の語彙では「スゴクイイトコ、マチキレイ、メシオイチイ、タワーノボッタ」ぐらいの、たどたどしい返答しかできない。だががんばってカップルの男性から次の質問を受けた。「カナダでは他にどこに行ったの?」その質問は答えられなければならない。なぜならそのカナダ旅行の主目的地はナイアガラとプリンスエドワード島だったのだから。
 しかしここで、「度忘れ」によりこの「プリンスエドワード」という地名が出てこないのである。そこで、モンゴメリーのアンの・・・と苦し紛れにヒントを探ったら、先方がプリンスエドワードを当ててくれた。助かった。後は東京は行ったことあるだの、ローマ旅行は何日でどこへ行くなど、世間話としては上等なかなり当たり障りの無い会話をしているうちに食事も終わったので会計をして彼らとは別れた。
 自分から話し掛けておいてここまでカタコトだと、向こうも当惑しただろうが、久しぶりの世間話シリーズは旅行した雰囲気が味わえてこちらは満足であった。妻は英語はさっぱりなので、私の片言ぶりも困惑した状況もわからなかったようだが、会話には加われず放置してしまったのは申しわけなかった。
ともかく、旅も後半でやっと旅らしくなってきたのである。しかしこのブログ、更新が遅く、昨年の夏の話題をまだグダグダと書いているのである。つづく。

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2008.04.09

2007年イタリアの旅20「ローマ再び」

 美術館を鑑賞した後、フィレンツェからまたローマへ戻る。久々に訪れたフィレンツェはローマより少し落ち着いていて旅行者にはすごしやすい街であった。
 フィレンツェ行きのインターシティと異なり、ローマへはユーロスターで帰ったのだが、気のせいか行きと違う路線を走っているような気がする。感覚的なものだが、景色が圧倒的に行きより「いい感じ」なのだ。日本でいうところの新幹線と在来線の違いだろうか。フィレンツェへ向かうときは山火事の後など荒れた景色を見たのだが、ローマへ向かう景色は優雅な農村と山野であった。やっぱり気のせいか。
 ローマにもどってきた。(いつも緊張感の漂う)テルミニ駅から、一泊目とは反対側(東側)のホテルを予約してあった。日本で予約したそのホテルは完全な駅前ビジネスホテル風で非常に殺風景。それに10ユーロのデポジットをとられる。部屋も狭かった。最後の宿になるそのホテルとしてはちょっとがっかりである。やはりローマの宿は鉄道駅から離れた場所の方がベターか。
 夜は地元でも評判のかなりスノッブな酒屋併設のワインレストランへ向かう。さすがにユーロ高だけあって高額な出費が予想されたが日本でこんな雰囲気のところに入ることと考えるとそれほどでもない。(イタリア人は日本人からみると全員お洒落に見えるのだが)客層もややお洒落な感じである。味が絶品かどうかは我々の舌では判断しかねるが、雰囲気はいいところであった。いろいろなワインをグラスで飲むことができた。酒屋併設なだけのことはある。お土産にワイン、と隣の酒屋へ酔ったが、ここはさすがにユーロ高の効果が大。高くて買う気がしない。酔っ払ってホテルへ帰る。(ヨーロッパの夏なので夕食後もまだ日が高い)

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2008.03.25

2007年イタリアの旅19「フィレンツェ観光最終日」

 フィレンツェ最終日は午前中美術館を見て、昼過ぎに列車でローマへ向かうことにした。
 まず、朝は早起きして約400年の歴史を持つサンタマリアノヴェッラ薬局に行き、妻が石鹸などを買う。薬局とのことだがさすがに老舗らしく、エレガントな(?)内装である。
Drugstore
 そのままシニョリーア広場の方へ行き、いよいよ個人的な旅のハイライト、ウフィッツィ(入力しづらい)美術館である。学生時代フィレンツェに訪れた時は、宿泊だけの経由地として通りすぎただけ、というもったいないことをしたので、この偉大なルネッサンスの美術館を見逃してしまっているのである。
 しかし、ヨーロッパの有名美術館というのは観光シーズンはとても長時間並ぶ。昔パリに真冬に行った時ですら、オルセーやルーブルに長時間行列を作った覚えがある。ここウフィッツィも例外でなく非常に並ぶとのことだったが、「予約」をすることによってスムーズに入れるらしい。そこでプラスアルファの出費にはなるのだが、日本出発前からインターネットで予約をしていった。

Photo
行ってみると案の定、長蛇の列である。しかし予約者はメインと反対側のちいさなカウンターでチケットを受け取り、あっという間に(少しは並んだが)入館できた。
 美術館は思ったほど大きくはないが、ポッティツェッリをはじめ、ミケランジェロ、ラファエロ、ダヴィンチなどそうそうたるスター軍団が目白押しであった。しかし大勢の鑑賞客である程度流れができており、じっくり見なければあっという間の鑑賞時間であった。途中、奥側の回廊から見たアルノ川の風景もきれいであった。
 そして我々は再びローマに向かうのであった。

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2008.02.11

4年たちました

 最近すっかり更新が滞っているこのブログも、スタートから4年がたってしまった。ほぼ毎日更新していた初期の頃と比べると、最近は月1回とほぼ活動休止に近い状況である。
 今日の更新で690本目の記事になるが、当初と比べると、文章を書きたいという熱意は明らかに衰えている。旅行の想い出を中心に書いて行こうとしたものの、肝心の旅行ネタが不足してからもう2年ほどになる。途中家を買ったり、診断士の試験を受けたりしていたものの、今は平凡な毎日が続いているばかりである。
 ブログというメディアも、スタート当初はコメントやトラックバックのつながりが、比較的狭い範囲のコミュニティ、という雰囲気もあったが、今となってはもはや目新しさは全くない。何となく記事を書くインセンティブが働かないんだな。
 と否定的な書き出しから始まった本日の記事であるが、とりあえず、4年も続けられた(?)ことは自分としては上出来である。完全に休止することがないよう、今後もマイペースで更新していきたい。当面の目標はあと10本となる700本目の記事である。いつになることやら。月1更新ペースで今年の秋?、まずは残されたイタリア旅行ネタを完了させよう。

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2008.01.06

2007年イタリアの旅18「ドゥオモ」

 夏の旅行の想い出を書き綴っているうちに、更新回数の少なさから年が開けてしまったが前回からのつづき。
 午後、またドゥオモ付近へ戻る。昔冬場に訪れ、更に時間が遅く入れなかったドゥオモに登ってみることにする。50mくらいの行列であったが、夕方ということでそれほど待たずに入口に入れた。クーポラ(ドゥオモの上の部分)の入場料は6ユーロ。二人で12ユーロである。やはり円換算だと高い。自力で階段昇り降りするだけなのに。
 途中、天井画を眺めるホールのようなところに出る他は、ただひたすらと階段を登って行く。
Duomo
高さ91mとのことだが、疲れるというほどではない。ただ、頂上付近になると階段が双方向通行で更に狭くなり、特に屋上出口付近は出入りする人達の待ちの時間が長い。
Duomo2_3
 屋上展望台からの眺めは美しかった。フィレンツェを一望して、あとはただひたすら階段を降りた。
 ふもとに降りると、あいかわらずドゥオモとジョットの鐘楼回りの広場は観光客でごったがえしている。ふたりでぼーっとつったっていると、欧米風のカップルが、頼まれたわけでもなく進んで写真をとってくれた。
 
 夜は少し美味しいものを食べよう、ということで、ホテルに戻り、若くてかっこいいフロントの女性に、おすすめの「庶民的で美味しい」レストランを予約してもらった。家庭的なレストランでティーボーンステーキやらパスタやらをワインと飲み食いして、二人で61ユーロ。ユーロ高を考慮しなければ、リーズナブルなお値段。考慮すると結構高い。でも満足であった。つづく。

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2007.12.05

2007年イタリアの旅17「フィレンツェ観光2」

 居心地の良いホテルで昼寝をすることにした。妻が体調不良のため、少し休んでもらう。私は非常に体力があまっていたので、炎天下のフィレンツェを少し散歩することにした。
 ここフィレンツェは、十数年前、卒業旅行の途中で友人と別行動し、ひとりで訪れた街である。と入っても、ピサの斜塔を見るため、単なる中継地点として一泊しただけである。ほとんど観光していない。非常にもったいないはなしである。ふとひとりでそんな昔訪れた場所を回ってみようと思った。記憶が不確かではあったが、確か中央駅から東へ少し行った路地の途中で、比較的安めのホテルが並んでいるところだったはずである。
 とりあえずホテルから駅の方へひとり向かってみた。
 駅のロータリーの近くにゴミの収集所があった。ごみは大型のコンテナにまとめて捨てられているのだが、そのコンテナに収集車が横付けされる。するとロボットアームが車の横からでてきて、コンテナを持ち上げたかと思うと、ゴミをトラックに落し入れるしくみである。しごく単純なロボットだが、日本だと小口のゴミを収集車のスタッフが手作業で回転する投入口に突っ込んで行く、という方法が一般的なので、何か子どものようにわくわくした。「ロボットだぁ」という感じだ。
 さて、本題の昔訪れた場所についてだが、何となくこのへんかな、という感じしかわからなかった。さすがにこれだけの年月が流れると雰囲気も変わるだろう。当時は観光シーズンとは正反対の真冬の夕方だったので、この観光シーズンの人ごみと比べると少し寂しい感じであった。しかし、そのホテル街とおぼしきエリアも、人ごみ溢れる観光エリアと違い、あいかわらず閑静なところであった。
 この年になると海外の同じ街へ二度訪れるということもあるが、やはり年月が流れると同じ街も別の顔を見せてくれる。東京ほどではないにしろ、歴史ある街でも時代とともに表情は変わるのである。つづく。

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2007.11.16

事後報告

 この「あさめしまえ」は一般的なブログと違って、日記風の記述が少ない。非常に昔の自分のはなしを他人事のように記述するのが常である。今日は少し前のことを日記風に書くという、いつもとは違うアプローチで書いてみたい。
 数回前のブログにも書いたが、今年の夏、ふと思い立って行政書士の試験を受けてみようと思った。中小企業診断士試験合格後、勉強する習慣が途絶えてしまったので、それをリカバーするためのものであった。マークシートメインなので、ハードルが低いと早合点した。資格をとって何かをしたいという積極的な目的があったわけではない。
 そんな志の低さのせいで、勉強は通勤の電車内でテキストをぱらぱらとめくる程度である。勉強らしい姿勢になったのは、試験の1ヵ月前くらいだろうか。でも1日数十分程度の勉強。そのまま模擬試験を受けたら、やっぱりにわかの勉強では受かる可能性はないことがわかって、一気にテンションがしぼんでしまった。模擬試験の結果も「あなたは試験をうけるべきではないドアホ」という判定だったので、既に本試験を受ける意味はなかったのである。確かに数十時間の勉強で受かる試験などあまりなさそうである。
 そうこうしているうちに試験前日を迎えた。雨の土曜日である。その日は普段の仕事があって、その後診断士の、お金を払って実務の勉強をさせてもらうコースに合流することになった。夜の会合、ということで、お酒を飲んで打ち合わせとなった。知らず知らずに結構飲んでしまった。
 その日は試験前日である。帰り道、雨の中を小さな折りたたみ傘をさしてずぶ濡れになりながら歩いていたら笑いがこみ上げて来た。俺は受験生だったはずである。何を前日に深酒飲んで雨ん中歩いてるんだろ。
 翌日は受験の日。でも本番は午後である。少し余裕があるが早めの出発。乗り換え駅でゾマホン氏(二代目そのまんま東氏)を見たのがいい想い出になった。
 受験会場は明大和泉校舎。模擬試験と実際の入試で過去2度程訪れて以来、約20年ぶりぐらいの久々の地である。昔はなかったインテリジェントなガラスばりの校舎が出来ていた。しかし到着した時間は早すぎた(午前中)ため、会場に入れず、外の冷えたベンチで腰掛けていた。明大前駅から明大まで、予備校が事前チェック類を配っているのだが、それを読むことにした。冷えたベンチで少しお腹が冷える。
 さて試験を迎えた。診断士と比べると、受験者は若い人、女性が多い。こういう記憶力が問われる試験は、若い頭脳の方が向いているのかも。こちらは受かる可能性はないので、冷静に受験ができる。まったく緊張感なく試験を受けたが、先月の模擬試験よりも手応えがなかった。でも直前に見た予備校の事前チェックは結構役立った!でもできないものはできない。結局この試験の合格率を下げるのに貢献しただけになった気がする。
 後日自己採点をしてみたら、憲法と一般知識の部分だけほぼ完全にできていて、後はボロボロという結果。憲法と一般知識は、過去身につけた知識が活きているだけである。それでも自分に一般常識はあることがわかってひと安心。
 短かった受験生生活は終わった。 またいつもの毎日に戻るのである。

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2007.11.07

2007年イタリアの旅16「フィレンツェ観光1」

 フィレンツツェの朝は気持ちの良い晴天の朝であった。バカンスシーズンとはいえ、駅前のホテルから見ると、早朝から通勤に駅に向かう人を多く見かけた。今日一日はのんびりフィレンツェ観光の予定である。
 まず、ホテルの目の前かつホテルの名前と同じサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に入る。ヨーロッパ旅行をすると必然的に様々な教会に入るが、ここも典型的(?)な教会建築のひとつであろうか。
 その後、市内をぶらぶらそぞろ歩き。ドゥオモやジョット鐘楼にはもう列が出来ている。しかし我々はまず昼食の場所探しをしたのである。妻の知人が紹介してくれたピザ屋を探した。イエローというその店は、まだ正午前なのでそれほど混んでいなかった。かなりカジュアルな雰囲気の店だったが、出てきたピザはかなり美味い。昼に近づくにつれ、店も満員になっていった。値段もこのユーロ高を考慮すると、かなり安い部類に入るのではないか。ピザ二枚に水、ワインを頼んで17ユーロちょっと。どうでしょう。
 次にちょっとお土産を探しに出かける。このあたりは、マーブル模様の文具、雑貨が有名らしく、その専門店に入った。店内で作っている工房もある店だ。品物の善し悪しはわからないのだが、やはりこのユーロ高ですべての商品がかなり高額に感じる。ちょっと買って行こう、という気にならないのだ。本当にこの異常な為替のせいで、価格の感覚が狂ってしまう。マーブルとは関係ないのだが、もうひとつの一押し商品ガラスペンを妻が土産に購入した。
 歩き疲れたので、一回ホテルに戻る。水のペットボトル2本と、ファンタ1本、ビール缶一本を近くの店で買って8.5ユーロ。日本円の換算して1500円弱。フツー日本で買ったら水2本とファンタのペットボトルで450円、ビール1缶で350円、しめて800円である。それも定価で買った場合。明らかにイタリア、物価約2倍じゃございやせん?つづく。

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2007.11.04

2007年イタリアの旅15「あわてんぼうのサンタクロース」

さんざん苦労して(?)宿泊したホテルは結果的に駅にも近く、設備も非常によく、この旅行中では最上位のホテルであった。それはさておき、ひとやすみして、昼寝をしてから、フィレンツェの街に出てみることにした。
 学生時代に訪れたフィレンツェでは、単なる中継点として宿泊しただけであったので、観光らしい観光はしていない。ドゥオモと蚤の市を見た位で、この街がどんな構造をしているのかわからなかった。また、当時は季節も冬だったので、観光客もほとんどおらず、静かな街、という印象であった。
 しかし、夏の観光シーズンのフィレンツェは、人通りが多く、広場という広場に人が溢れ帰っていた。通りにも人が多く、飲食店以外の店舗がほとんど閉まっている夜の時間帯でも、通りに人通りは多かった。また、夏のヨーロッパは日の入りも遅く、日本では真っ暗になる時間帯でもそこそこ明るい。
 ポンテ・ヴェッキオでアルノ川の夕焼けを見た後、街をそぞろ歩きした。
 夕方の通りには露店が多く出ている。露店とは言っても、屋台のようなちゃんとした店舗があるわけではなく、主にアフリカ系、中国系の物売りがあちこちに見られるのである。一番多いのは、ルネッサンスの絵画のコピーを売っている人。次に恐らくにせものっぽい、ブランドの鞄を売っている人。中国系の人は、何だかよくわからない工芸品のようなものを売っている。特にアフリカ系の人に共通するのは、露店を白い布切れの上で開いていることである。皆共通して白布の上で鞄やら絵画やらを売っている。
 あちこちに露店が広がる道を時折パトカーが巡回している。すると、この商店主の皆さんは、今まで開いていた店を一気に白い布にくるみ、まるでサンタクロースのように後に抱えて歩き出すのである。
 おそらく日本と同じように、許可を得ていない露天商というのはここでも違法なのだろう。警察の巡回に合わせて、一瞬で店をたたみ、サンタクロースのように歩き出すというしくみが出来上がっているのである。まことに合理的である。袋をまとめる人、袋から商品を広げる人、それをあちこちで見かけた。
 ところで、そんな彼らから物を買っている人はついに見かけなかった。フィレンツェと言えば、有名ブランドの店舗が数多くある街である。あの(ニセ)ブランドバッグを、本気で買う人がいるのだろうか。つづく。

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2007.10.25

ふまじめな受験生

 最近、非常に怠惰な生活を送っていて、あの受験勉強に熱中していた1〜2年前と比べると、何か心にぽっかり穴の開いた様な無目的の今日このごろであった。
 そこで夏頃ふと思い立ってまた受験勉強してみようと思った。目的もなく勉強することほど意味のないことはない。何かになりたいとか、何かを成し遂げたいとか全くない状況でのスタートである。しかし、以前の勉強で努力して何かを達成する喜びを味わってから、あの快感が忘れられなくなっているのである。資格マニアの陥りやすい心の病である。
 とりあえず自分の欠けている知識を身につけること、仕事に少しでも役に立つ分野であることなどを考慮し、法律系の資格でいくつか選考した上、行政書士を選ぶことにした。
 かつては、法学部生や、これから司法試験を受けようとする人達の腕試し的な試験で、比較的ハードルが低い試験であったらしいのだが、最近では逆に法学部で専門の勉強をするか、司法試験の勉強をかじっている人でないと受からないという比較的難関試験になっているらしい。
 テキストなどを読んでみると、今まで知らなかった法律の基礎が色々勉強になった。意外と面白いものであるが、行政書士試験の要である「行政法」だけはさっぱり頭に入らん。憲法、民法、会社法などと比べて全く身近でないためであろう。
 20〜30時間ほどテキストを読んだりした後、公開模試を受けてみることにした。気がつけば本試験まで一ヵ月を切っている。
 行政書士試験のいいところは、問題のほとんどがマークシート方式であること。そしてたった3時間で決着がつくところである。問題の難易度は別として受験のハードルは低いと言えよう。
 公開模試ではじめて通しでフルタイムの試験を受けたわけであるが、やはり選択式とは言え、法令の問題はさっぱりわからない。あまりに頭に入らない文字の羅列に、途中で少し眠りに落ちてしまった。気を取り直して、記述と一般知識の部分はまぁまぁ出来た様な気がする。
 3時間のうち2時間ちょっとで全部解答欄を埋めてしまい、わからないものはわからないので見直しをしてもしょうがない。全然当たっていないくせに自信たっぷりに早めに受験会場を途中退室した。たぶん最後まで残っている人の方がまじめに受験して点数が高い人達なのだろう。
 帰って採点してみると、案の定、法令はぼろぼろ、記述はそこそこ、一般知識だけは合格ライン、という結果だった。もちろんトータルで見ると合格絶対不可能ゾーンの点数である。マークシートでもやっぱり勉強しないと当たらないものだねぇ。

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2007.10.11

2007年イタリアの旅14「キレキレモード3」

 フィレンツエのサンタマリアノヴェッラ駅に到着した。今夜から2泊する宿は、サンタマリアノヴェッラ協会にほど近いところで、今回の旅の中ではやや高いグレードに属するところ。
 日本で予約したホテルは、バウチャーとネットでダウンロードした地図があり、すぐ見つかるはずだった。特に私は大きなスーツケースを転がしているので、早く楽になりたかった。
 しかし、ダウンロードした地図の場所に行っても、予約したホテルはないのである。近辺を探してもそれらしいものはない。しょうがなく、スーツケースを転がしながら、近辺を2周3週とウロウロ。それでも見つからない。妻もそろそろキレキレモードである。そもそもここは妻がひとりで予約してくれたホテルである。二人とも疲労でだいぶぐったりしてきた。
 今までの経験則から私は考えた。ここまで用意した地図(旅行会社で印刷したネット上の地図)に忠実に宿を探して来たが、あらためてバウチャーに表示された宿の住所に忠実に探すことにした。住所はサンタマリアノヴェッラ広場なのである。地図が表示するポイントは、広場より奥まったところ。たいがい、西欧の住所というのは通り名をベースにしている。ということはこのホテルも広場に面していなければおかしい。ということでもういちど通りに面した建物をよく見てみると、果たして予約したホテルはあったのである。
Firenze1
 ホテルは看板が非常に小さなもので(入口の脇に金看板が埋まっているだけ)、パラペット看板や屋上のロゴなど大々的なものはない。更にはっきり言うと、ネット上の地図表示は明確に「間違えていた!!!!!」のである。ネット地図はあまり信じすぎてはいけないのである。つづく。

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2007.10.03

2007年イタリアの旅13「フィレンツェ?」

 列車はローマ・テルミニ駅を出て北へ向かった。インターシティというのは名前のカッコ良さとはうらはらに、超ローカル特急である。景色はあまり面白くなかった。そこそこ各駅に止まる地味な列車である。
 窓側にエアコンの吹き出し口がついているのだが、風の出かたが気分次第、という感じで、全力で冷風を送るときもあれば、全くやる気をなくして風を出さないときもある。車掌さんか誰かの掌中にエアコン稼働権が握られているのだろうが、車中の暑さとは関係なく、エアコンは自分勝手に動いているのである。
 先ほど車中の風景はつまらない、ということを述べたが、途中印象的だったのは、一定規模のエリアの樹木、畑が真っ黒になっているところがあったことである。おそらく、今年の猛暑で山火事が起きた跡だと思われた。畑だけでなく、樹木までこげているところを見ると、単なる野焼きなどではないというのがわかった。
 列車はフィレンツェの駅に着いた。フィレンツェとは言っても、本来「ターミナル」であるサンタマリアノヴェッラ駅とは違う駅への到着である。我々の買った切符は、フィレンツェ終点の列車のものではなかったので、フィレンツェは幹線の駅に止まるだけであった。そこで支線に乗り換えて、シティセンターであるサンタマリア・・・駅へ向かわなくてはならないのである。切符売り場でサンタマリア・・・駅までの切符を下さいと伝えると、駅員からここまで来た切符で行けますよ、とのこと。
 10分程で訪れた列車に乗ってフィレンツェの中心地であり終着駅であるサンタマリアノヴェッラ駅へ到着した。つづく。

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2007.09.24

2007年イタリアの旅12「スリ?」

 紆余曲折の末、フィレンツェ行きの列車に乗る時間となった。
 ヨーロッパの大型駅は文字通りターミナルになっており、ここテルミニ駅も列車は行き止まり(?)に停車することになる。従って、駅の中心に近い、到着時に先頭、出発時に最後尾となる列車の端は必然的に混雑することになる。列車はインターシティであったので、日本の在来線特急といったところだろうか。快速以上新幹線未満のような。我々の乗ったのは更に二等車だった。庶民的である。
 列車はほぼすべてコンパートメントになっており、1コンパートメントに1グループという占有状態で、非常に乗車効率が悪い。別にヒト(他人)が乗っているコンパートメントに割り込んでも悪い訳では無いが、それほど混んでいるというほどではないので、ここは適当な空きを探すのが妥当であろう。
 しかし先述の通り、ここはターミナル駅であるから、駅側の車両のコンパートメントはどこも満員(といってもそろぞれのコンパートメント=6人乗りが6人満員というわけではない)であった。そこで列車の出発方向に向かって空きコンパートメントを物色していたところ、急に姉妹がやってきてカタコトの英語で「こっちはいっぱい。あっちあっち」と我々を押し出す様に誘導した。慌てて押し出される様に列車の客車部分から押し出された我々は必然車両の連結部分に押し込まれることになる。このインターシティの連結部分は、双方から自動でドアが締まるしくみになっており、このままだとその姉妹と我々計4人はこの連結部分に閉じ込められることになるのだ。
 連結部分にはその姉妹と私の妻。姉妹の姉が自動で締まるドアを開けながら早く早くこっちへと私をあおり立てる。我々は重い荷物を持っている(特に私は重いスーツケース)。とたんにわかった。「これはガイドブックなどに書いてあるスリの典型ではないか?」ということである。狭い空間に閉じ込められ、ごちゃごちゃしているうちにポケットの中身をすられる、というやつである。私は急いで妻に日本語で「急いで外へ出ろ!」と言い、強引に妻を列車から外に出し、私も続いた。
 ホームに降りた。幸い何もとられていないようだ。
 何も起きていないので、その姉妹を疑うのはどうかと思うが、その姉妹(恐らく10代後半)が、イタリア系でなかったこと(厳密な定義は微妙だが、よくスリをする家族に特有の風貌を持った人種であったこと)、我々を煽った後、呑気にホームを歩いているのを見たこと、姉妹が我々を誘導したのはより混んでいる側の車両であったことなどを総合すると、あのままではいいカモになった可能性が高い。
 フツーの子どもを犯罪者と疑わなければならないというのはブルーである。顔で判断した自分も差別的でイヤだ。旅は呑気にしたいものである。でもこれが他民族国家の旅行先の現実なのか?
 結果的にその姉妹が言うのと反対の進行方向先頭側に行ったらコンパートメントはガラガラであった。あまりにガラガラでまた犯罪に巻き込まれるのも恐かったのであるが、後ほど英語をしゃべる若者集団がどっとやってきて、なんとか安心できる状況のなか、列車はフィレンツェに向けて出発した。つづく。

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2007.09.18

2007年イタリアの旅11「暑いローマ2」

 今日このブログを書こうと直近の記事を見返していたら、いつの間にか今年の旅行記が「2008年イタリアの旅」と来年の表記で書いていることに気づいた。さっそく何回分かを2007年に直して再スタートである。
 さて、我々はフィレンツェ行きの列車に乗るべく、ローマのテルミニ駅に昼頃帰って来た。しかし、予約した(前述のトラブルの結果確定した)列車は、3時前後のものだったので、のんびり昼食をとることにした。
 食事の場所と決めたのは、駅前の広場の反対にある、オープン形式にテーブルが並べてあるお店。当然駅前の車が行き来する場所に面しているので、少しほこりっぽい。でも石造りの建物の軒先がアーケード状になっているので、一応日陰で食事をすることができた。
 ウェイターは結構年配のおじさんで、コーラ代の会計を二重計上したりちょっとしたミスはあったけれど(いちいちクレームをつけなければならないのが面倒くさい)、パスタなどの味はそこそこ美味しく、暑いローマの昼下がりをのんびりと過ごすことができた。
 店の横の激しい日差しがさんさんと当たる歩道に、ひとり黒人が何もせずに佇んで、店のヒトから時折水をもらったりしていたが、いったい何をしているヒトだったのだろう。つづく。

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2007.09.12

胃カメラ初体験

 突然だが、今日胃カメラをのんだ。
 1週間以上上腹部が痛んでいたので、今日病院に行って診てもらったのだが、血液やレントゲンで特に異常が見当たらず、胃カメラをのみましょうか、というはなしになった。
 今年の人間ドックで胃カメラを初体験しようと思っていたのだが、せっかくの機会なので、のんでみることにした。会社で胃カメラをのんだ諸先輩方に聞くと、「ものすごく苦しかった」「別にたいしたことなくバリウム検査よりむしろよろしい」という二派に分かれるので、自分がどの程度の感じを持つか実際に経験したい気持ちでいっぱいだったのである。
 昼食を抜き、午後病院の内視鏡検査ルームに行く。まず肩に麻酔注射をし、喉に麻酔ゼリーを流し込む。いよいよ横になってマウスピースをくわえ、センセイが胃カメラを送り込むのである。
 ヨダレは無理に飲み込もうとせず、そのままダラダラ垂れ流して下さい、とのこと。ダラ〜。
 実際差し込まれてみると、多少の苦しさはあるものの、思ったよりスムーズな感じ。ただ完全に楽かと言うと、多少違和感はある。実際センセイが管を送り込む手先のアクションを目で見ると、何となく吐き気がして来て、途中4回ほど、ゲーゲーサウンドを出してしまった。部屋の外で順番待ちをしているヒトたちに、相当恐怖感を植え付けられたと思う。ハッハッハ。でもそのゲーゲーサウンドほどは苦しくなかった。ただその順送り作業を見ていると嘔吐感が気分的に出てくるので、目をつぶっていたら、力を入れていると思われたのか、「目をあけていたほうがいいですよぉ」と諭された。仕方なくモニタに映し出されるピンクの内蔵をぼんやり眺めていた。
 胃は「けっこうきれいです」とのことで、心配したポリープや潰瘍はなく、痛みのある部分が炎症をおこしている程度だった。いやぁ、この歳にしてはじめての体験をするっていうのは楽しいものである。ただ、今年の人間ドックでバリウムに替えて胃カメラを選択するかと問われれば微妙である。

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2007.09.09

2007年イタリアの旅10「暑いローマ」

 真実の口を後にした我々は、続いてチルコマッシモへ向かう。それにしても暑い。石畳からの照り返しもキツい。Roma5
ここは紀元前の競技場跡地でかなり縦長の楕円が当時を物語っている(ように感じる)。実際は騎馬戦車などの競争をやっていたようだが、私は13年前に来てから、胸に秘めた思いがあった。再訪の際には、ここのトラックを走ってみたい、という気持ちである。しかし今日は暑くて一周するのは無理そうである。
 この競技場後の土手状になっている木陰で、何故か古代ローマ風の衣装(体操着?)をつけた子ども達が、カバディをやっていた。その横で妻に荷物を持たせてとりあえず走ってみる私。感慨。以上。
 チルコマッシモ横の緩やかな松並木の坂を登る。ローマのいいところは、あちこちに公共の泉(井戸?)があることである。恐らく飲めるのだろうし、ことのほか冷たい。とりあえず飲まずに、帽子をその水で濡らし、頭から被ってみた。ひんやりしてすこぶる気持ちがいい。
 そのまま徒歩で地下鉄のチルコマッシモ駅へ向かった。
 駅で妻が有料トイレに入ったのだが、水洗のボタンと間違えて、便座の真後ろのボタンを押したところ、けたたましいサイレンの音と、ランプの点灯で自動的にドアが開いた。どうやら緊急ボタンを押してしまったらしい。そりゃぁもう大騒ぎさ。
 緊急ボタンながら、係員が来ることも無く、周りにヒトもいない。しばらくするとサイレンも止み、辺りは何事も無かったかの様に平穏を取り戻した。
 地下鉄で再びテルミニ駅へ向かう。つづく。

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2007.09.05

2007年イタリアの旅9「ローマの休日2」

 コロッセオを一周して、次はフォロロマーノへ向かう。古代ローマ観光の王道である。コンスタンティヌス凱旋門側からの入場。入り口付近は木も生えておらず、キツい日差しを遮るものがない。露店で帽子、凍らせた水、ミニ三脚を売っている。需要があるのだろう。Roma2
 観光客に日本人が少ない。13年前の冬に来たときは、観光客の約半数が日本人だった。このメジャー観光地で夏休みという環境下においてもおどろくべき日本人の少なさである。ユーロ高の影響がここにも。13年前はフォロロマーノを臨むフォーリインペリアーレ通り付近で、家族連れのスリ集団に襲われた想い出も懐かしい。日本人は少ないが、観光客はとても多い。観光シーズンである。
 パラティーノの丘は入場料をとられるので、とりあえずこのフォロロマーノのみを見て古代に思いをはせる。ところどころ、木が生えているのだが、大多数の欧米系旅行者は、数少ない木陰にすずなりになっていた。夏だというのにローマの空は霞も無く青く深い。Roma3
サンタマリアアラチェリ教会(結婚式をやっていた)を通り、いよいよ今回妻のための「ローマの休日ツアー」主要目標のひとつサンタマリアインコスメディアン教会へ向かう。
 件の真実の口は、何と、行列をして写真をとる、という塩梅になっていた。以前来た時は冬だったためか、この古代のマンホールのフタの周りにはヒトなどいなかったが、順番に写真をとっていかなければいけない夏の観光シーズンでは、真実の口の裏側を覗くとか、そんな余裕はないのである。
Roma4
何とか写真をとって、再びテルミニ駅へ帰るべく、地下鉄のチルコマッシモ駅へ向かう。つづく。

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2007.09.01

教育論

 最近、清水義範さんの2冊の新書(「行儀よくしろ。」「『大人』がいない...」)を読んで、なるほど、と思うところがあり、教育論についてひとこと書きたいと思う。
 清水さんの論は、日本の子供の学力低下が言われているが、テストの点数だけを問題にするのではなく、総合的な文化の継承が出来ているかが問題なのではないか、教育とは学校だけに責任があるのではなく、日本社会全体に責任があるのではないか。社会が豊かになり子供を教育すべき大人も「子供」になっているのではないか、という内容に(かなり乱暴で稚拙な要約ではあるが)まとめられるかと思う。
 最近の世間の論調は、日本の学力低下の原因は文部省(文部科学省)が推進した「ゆとり教育」のせいであるので、直ちに義務教育カリキュラムを変えなければならない、といったところだろうか。確かに一面でそういう部分もあるのかもしれないが、清水さんの言う通り、子供の教育には学校だけでなく、親や社会全体が影響を与えている部分が大きい。学校はテストの点を良くする方法や、集団の中での個人のありかた、と言ったことは学ぶことは出来るが、マナー、特に日本文化のなかのたちふるまい、といった部分は、学校以外のコミュニティや家庭で学ぶケースが多いのも事実だ。
 子供の頃は、テストでいい点をとることが頭のいいことだ、と勘違いしてしまう。大人になっても知識のあることが頭の良いことだと思っているヒトは意外と多い。しかし大学に行ったり、社会に出てみてわかるのは、そうした「頭の良さ」は一面的なものだということである。本当の賢さというのは、論理的思考力であったり、無から有を生み出す能力であったり、問題の本質を見抜く能力であったり、答えがひとつではない問題を解決していく能力であったりと、「総合的に考える力」である、ということだとわかるのである。そして人間的な魅力、ヒトとしての力を感じるのは、それだけではなく、いざという時の立ち振る舞いやマナーといった「文化」を身につけていることだったりするのである。
 学校の教育制度を改革すれば、すぐに子供の力が向上する、というのはあまりにも短絡的な発想である。せいぜいテストでいい点をとれる子を増やす程度である。それよりも、この国の大人の力を上げなければ日本全体の文化の底上げは不可能なのである。義務教育の改革を考えるのであれば、それとあわせて、私も含めて、大人が大人としてより成長していく方法を考えなければならない。
 清水さんも言っているが、年長者は若者を否定したがるものだが、公共マナーや能力(PCスキルや音楽など)は、若いヒトの方が高齢者を上回っていることが多い。ヒトの能力や資質というのは当然個人差があり、世代をひとまとめにして「最近の若者は」「大人は」などという評をしてしまうのはどうかと思うが、個人的には「最近の年長者は」と思うことが多いのも事実である。特に団塊世代と呼ばれる以上の世代の皆さん(もちろんすべてではない)が、公共マナーであったり、齢を重ねたことによる判断の重みであったりという部分で若者より不足していることを感じるヒトも多い。学校教育においても、教育制度よりも教師、親、社会と、大人すべてのレベルが落ちているのが問題の本質なのかもしれない。自分が学生時代勉強をせず、今も勉強していない親が子供に「勉強しなさい」と叱っても、子供が勉強することは無いのである。子供は大人を見て学ぶ。いい面も悪い面も。
 まず大人が変わらなければならない。子供に尊敬される知恵と人格を今からでも身につけなければならないのだ。でも私にはその資質がないので、然るべき方にお任せしたい。いつも言いっぱなしで逃げる私。

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2007.08.30

2007年イタリアの旅8「ローマの休日1」

 テルミニ駅でのひともんちゃくの後、フィレンツェへの鉄道出発までの間、数時間ローマを観光することにする。
 今回の旅は、妻の「ローマの休日の舞台を見たい」という要望がメインとなっているため、私はガイドとして彼女を案内する係になりきるのであった。本日ガイド(私)がこの短時間で主要ポイントを見ることができるコースとして設定したのが、コロッセオ→フォロフォマーノ→真実の口という王道ルートである。これは短時間でローマ、特に古代ローマのハイライトとローマの休日のエッセンスを味わうのには最も効率の良いルートである(と勝手に思っている)。
 地下鉄に乗ってテルミニ駅からコロッセオ駅に向かう。観光シーズンだけあって、日曜の午前10時の地下鉄は大混雑である。13年前もこうだったか記憶がないが、車両の外は落書きだらけである。落書きがすぐ消せる日本製の車体をおすすめしたいものだ。
 コロッセオ駅を降りるとそこはコロッセオだった。
 妻にとってははじめての景色だが、感動しているのかそうでないのかノーリアクションである。。おきまりの記念撮影をしたが、我々はコロッセオの中に入らないことにした。相当の行列だったし、中に入っても感動は同じだろうと妻が判断したためである(私は13年前に内部に入場している)。強烈な夏の日差しで、近隣の松林から蝉時雨が賑やかな中であるが、我々はコロッセオの周りを一周することにした。かなり暑い。真夏の空はぬける様な青空である。遮るものが無い分、太陽の日差しがダイレクトに全身に降り注ぐ感じだ。
 外周部分は一部工事中である。夏場にヨーロッパの観光地に行くと、必ずどこか遺跡の工事現場にかち合ってしまうものだ。
Roma1

 今年から私は国際ケータイなので、日本にメールしてみた。1人は返事来た。つづく。

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