2012.01.26

2010年フィンランドの旅14「かもめ」

 フィンランド旅行最終日を迎えた。最終日のフライトは午後出発なので、午前はまだ観光できる余裕がある。
 そこで我々は、日本人旅行ならとりあえずおさえるべき、映画のロケ地を目指したのである。そこは「かもめ食堂」のロケ地であった。小林聡美さん、片桐はいりさん、もたいまさこさんという日本の代表的個性派女優が出演するこの映画は、三谷さんの作品かと思いきや、荻上直子監督の作品で、フィンランドの主要観光地をおさえつつ、ゆるーい時間が流れる映画である。今回のフィンランド旅行も、この映画を見てから渡航を決めたというよりは、フィンランド行きを決めてからこの映画を見た、とうのが正しい。すでにブログの前の記事で書いたとおり、映画に関わるカフェ・ウルスラなども押さえてある。
 ホテルをチェックアウトし、時間があったのでそこから歩いてかもめ食堂のロケ地を目指した。食事をするには、少し早目に到着。まったく飲食店経営には不向きに感じられる、フツーの家並みの一角に店はある。実際はフィンランドの料理を出す、カハヴィラ・スオミというレストランである。
 まだ早い時間だったので、近くの公園で時間をつぶした。近くの公園では、スタッフが植栽の手入れ(芝のメンテナンスや落ち葉拾いなど)をしていた。しかし(日本人の感覚では)驚くべきことに、そのスタッフの過半が女性なのである。更に比較的若くて美しい女性たちであった。日本であれば、公園のグリーン関連のメンテナンスは、力仕事という部分もあって、大多数が男性であるし、女性がいても、比較的高齢の方々であるが、フィンランドではこういった部分にも女性の参画がフツーにある、という驚きがあったのである。それはここに限らず、その前に訪れたウスペンスキー教会の植栽も女性がメンテナンスしていた。女性が参画する社会というのは、ホワイトカラー労働に限らず、こうした比較的体力を使う業務にも参画がある、ということなのだろうか。
 さて、程よい時間になったので、かもめ食堂のロケ地、カハヴィラ・スオミに戻る。現地のお客さんひと組が食事をしていたが、比較的空いている。我々はさっき朝飯を食べたばかりで、食事をたっぷりという気分ではなかったので、簡単にお茶をすることにして、入り口に近い席で軽く飲食を始めたのである。映画と多少店内のレイアウトは異なるものの、ほぼ映画の雰囲気そのままで、当然のように撮影当時の写真なども壁に掲示されているのである。あの映画のファンであれば、とりあえず来る価値のあるお店である。
Kamome

 するとしばらくして大型の観光バスが店の横につけられ、大勢の旅行者が降りてきた。日本人御一行様である。どうやらツアーのコースにここが組み込まれているらしく、すでに食事も予約されているようだ。ツアーガイドらしき方が御一行様に食事の説明をして、一同着座する。あっという間に店は満員である。最初食事をしていた現地の方々と、単体で食事をしている我々はたちまち居ずらい空気になってしまった。
 日本人御一行様は、やはり全員が映画かもめ食堂のファンらしく、店内をあちこち歩き回って感動されていた。
 海外で出会う日本人旅行者のツアー参加者と言えば、老夫婦、老人の団体、新婚旅行夫婦と相場が決まっているのだが、この団体は違った。私の偏った視点でそう感じただけなのかもしれないが、大多数が「40歳前後、有名国立大卒、独身」と感じられる女性ばかりなのである。個人、もしくは友人同士で参加したと思しき、キャピキャピしていない、かつ老人でもない、更に知性を感じさせる妙齢の女性たちばかりなのだ。こうしたツアー客というのはあまり見かけないので、新鮮な体験であった。
 次回いよいよフィンランド最終回。つづく。

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2011.12.25

2010年フィンランドの旅13「夜遊び」

 タリンからヘルシンキに戻った。
 今夜がヘルシンキ最後の夜なので、最後の夜を満喫しようということになった。
 まずは近隣の観光から。
 ヘルシンキ港の横にはオールドマーケットホールという古いんだか新しいんだかわからない建物があり、食料品が売られている室内市場があって、そこを見学した。今回のヘルシンキ旅行中、港の近くの宿に泊まっていたのだが、港に行く時間は早い時間や遅い時間が多くこのホールが開いている時がなかった。タリンからの帰りがやや早かったこともあり、開いている時間にぶつかることができた。
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 マーケット内には食事ができる場所もあり、旅行者にはなかなか楽しいところである。
 夕食は旅行ガイドなどにもよく出てくるラヴィントラ・シーホースというフィンランド料理に店に行った。
 料理は美味しく、接客もフランクで感じのよい店であった。夕方行ったので当然まだ外は昼下がりのように明るい。お客さんも多くはなかった。しかし、店舗に冷房設備がないのか、店内がとても暑かった。汗だらだらになりながら伝統的フィンランド料理を食べたのである。やはりフツーのフィンランドの夏はこんなに暑いことはないので、冷房設備など準備していないのだろう。二人で48ユーロ。
 夜8:30に(当然まだ夕方のように明るい)最後の夜を満喫しようと、妻と飲み屋めぐりをした。明るいので昼から飲んでいる雰囲気である。オープンエアでバンドの入っている(もしくは音楽が流れていただけか?)ビルの谷間の飲みスペースがあったので、そこに腰を落ち着けた。ビールで乾杯、という王道もあったが、名前の知らない謎のドリンクをサーバから提供していたので、自分はそれを頼んだ。飲んでみると炭酸のはいったチューハイみたいな甘いお酒であった。
 こうしたヘルシンキ都心のビアガーデンのような飲みスペースはどこも混んでいた。そして多くのヒトがよくタバコを吸う。最近日本が急速に嫌煙ムードになっているので、そう感じただけであろうか。そこで気づいたのであるが、フィンランドの飲み屋、レストランには必ず灰皿が常備されているのは当然として、その灰皿が日本とはどうも違うのである。
 こちらの灰皿は、植木鉢をひっくり返したもののようなのである。植木鉢をひっくり返したような形、という形状の類似ではなく、まさに植木鉢がひっくり返して置いてあるようにしか見えないのだ。ここ独自なのか、広域でこういうのがスタンダードなのかは謎である。つづく

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2011.11.03

いちばん長い10月

 子供の頃の1日、1か月、1年というのは非常に長かったように感じるが、大人になると、時間のたつのがはやく感じるのは、多くのヒトが一致するところだろう。私もいろいろあった30代を振り返ると意外と長い期間だったが、その渦中にいるととても時のたつのが(歳をとるのが)はやく感じたものである。
 あれやこれやで40代になり、加齢から朝、異常に早起きになったりして、1日に使える時間は長くなっているのだが、やっぱり時は瞬く間に流れていたのである。
 日本史上においても劇的な2011年であったが、もう11月である。ところがこの2011年10月だけは非常に時がゆっくり流れたのであった。
 妻が以前から犬を飼いたいと主張していたのだが、ウンチを拾う毎日になるだけだし、自由が奪われるから頑なに拒否していたのだが、ある日夫婦で飲酒して帰りに立ち寄ったペットショップで出会った子犬にビビッときて、あっという間に犬を飼うことになってしまったのである。文字通り、酔った勢いでできてしまった子であった。
 ショップ内で風邪をひいたりなんかして、引き取りは10月に入ってから。つまりこの10月は子犬と生活を始めた一カ月だったのである。
 予防接種が終わるまで散歩はできず室内飼いなので、予想通り部屋の中でオシッコを拭き、ウンチを拾う毎日が始まった。
 最近仕事のストレスからか、心が折れかかっていたのだが、この子犬様のおかげで、家族以外に愛情を注ぐ対象が生まれ、精神的に穏やかな日々が始まったのである。まるで子供時代のようにゆったり流れる毎日。
 オシッコを拭き、ウンチを拾い、餌を与え、オシッコを拭き、ウンチを拾い・・・・。という毎日を繰り返しているうちに、現在ではペットシートの上でトイレができる子になったので、オシッコを拭く機会は減ったが、ウンチ拾いは続いている。子犬に愛情を注ぐことで、自分に対しても他人に対しても寛容になった自分に気づく。
 仕事上でも、色々な仕事が進み、私生活でも新しいヒトとの出会いがあったりと出来事も盛りだくさんの一カ月だったのだが、ここ20年では最も長く感じた10月だったのである。
Dog

 

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2011.10.23

2010年フィンランドの旅番外編(エストニア3)

 タリンを満喫し、今度は港の要塞の脇を通って、連絡線乗り場に着いた。後で調べると、この謎の要塞(ピラミッド)は単なる市民ホールのようである。なぜならこの港は「市民ホール港」というのであった。中は見えないが、この建物の下には座席やら舞台やらアリーナやらがあるのだろう。

 ヘルシンキの人は、物価の安いエストニアに買出しに来るということがあるそうだ。現地通貨に両替しなかったので、物価感がつかめなかったが、「北欧」よりは元ソ連である「東欧」の方が、今でも物価は安いのだろう。船の待合室の横にもアルコール類を主体とした小さな売店があり、ビールなどをまとめ買いしている人も見られた。

 さて、いよいよ船に乗り込むわけであるが、手元には妻の名前が印刷されたチケットしかない(二つ前の記事参照)。果たして自分はこのままヘルシンキに無事帰ることが出来るのであろうか?
 ところが、パスポートコントロールを過ぎるとあっけなく乗船手続きが完了。どうやら私の半券がまるまる切り取られていたわけではなく、往復のチケットとも代表者(先に登録した人の名前)が表示されていただけのようだ。安心。

帰りの船(午後3時頃?)は行きと違って空いていたので、窓際に席を取れた。外は波も穏やかで高速船で船酔いもなく快適で、ゆっくりまどろみながらヘルシンキへ戻ったのである。本編に戻る。

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2011.09.10

2010年フィンランドの旅番外編(エストニア2)

 タリンの城門をくぐると、そこは旧市街だった。
 さすがにここはヨーロッパの中世という趣で、歴史を感じさせる。
 午前の早い時間であったが、世界中からの観光客が旧市街にあふれており、対岸のヘルシンキより観光客が多いように見える。かつて共産圏であったという感じは全くなく、ごく普通にヨーロッパの古い町並みが保存されているところである。
 世界中から観光客が集まるせいか、工事中の看板も少しファンキーにアメリカナイズされている(笑)。
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 旧市街の中心地に行くとさらに観光客の数は増え、多くが団体でのパッケージツアーのようだ。旗を持ったツアーガイドの後を、大勢でぞろぞろついていっている。日本人やアジア系はほとんど見かけず、大半の観光客が欧米各国から来ているようである。
 城壁内のやや高所に展望スポットがあり、タリンの町並みを見渡せる。観光ガイドに乗っているタリンの遠景も概ねここから撮影されたもののようだ。
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 観光客同士でお互い記念写真を取り合っていて、我々夫婦も近くにいたメキシコ人家族にとってもらった。写真をとってくれた息子はカメラマンだそうであるが、逆光であまり上手にとれていなかった・・・。
 その家族は何度か日本に行ったことがあるらしく、お父さんが日本語であれはこう言うだろうと楽しげに話しかけてきたので、こちらも片言のスペイン語を披露してみたのである。

 旧市街ではセグウェイによるツアーがあったり、中世の衣装を着た売り子がいたりと、思いっきり観光地化されているのである。バルト三国は数十年前まで東側にあったので、欧米の人にとっても珍しい観光地なのだろう。それにしても人、人、人という感じだ。

 通りには多数のオープンテラスの店が並んでいて、皆食事や喫茶、飲酒を楽しんでいた。我々夫婦もそのうち一つの空いている店に入って、パスタや肉料理などを注文し、酒も飲んだ。
 驚くべきことに、ここのパスタ(ボロネーゼ)は今まで食べた中で一番美味しいパスタであった!
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 旧共産圏あなどるべからず。なかなかヨーロッパは奥が深いのである。

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2011.09.08

2010年フィンランドの旅番外編(エストニアの旅1)

 ヘルシンキはフィンランドの南端に面しているため、陸上や海上交通を使っても、比較的簡単に外国に行くことができる。そうした地理的特性がまた、スウェーデンやロシアの侵略を許してきたのかもしれない。
 あのあたりで一番行きたいのは、エルミタージュのあるサンクトペテルブルクだが、ロシア入国はビザの取得等、いろいろ手続きが面倒で、思い立っていきなり入国というのはむずかしいらしい。そこで、いちばん近くて簡単にいけそうなのが、かつてソビエト連邦の一部であり、バルト三国のいちばん北にあるエストニアの首都タリンであった。せっかくヘルシンキまで来たので、思い立って行ってみることにした。なんでもタリンの旧市街は世界遺産になっているそうだ。ヘルシンキからも高速船で比較的簡単に入国することができ、日帰りも可能である。

 ヘルシンキのエテラ港に高速船乗り場(マカシーニ・ターミナル)があり、そこでチケットを買って船に乗り込む。まるでローカルフェリーのように簡単に乗り込めるのだ。
 朝ホテルを出て、最初に出発する船に乗ろうと我々はのんびりでかけたら、ちょうど朝の船が出発する直前であった。チケットを申し込んだら、本来の搭乗開始時刻を過ぎていたようで、チケット係の女性はすこし怒り気味であわてて手続きをしてくれた。妻と私のパスポートを見せて名前を登録するところが、さすがに国際線である。

 駆け足でゲートをくぐり、乗船口で係の人が券の半分をもぎり、タラップから船へ乗船。
船にはそこそこの乗客数があり、窓際の席は満席だったので、中央部分の席に場所をとった。席につくや、あっという間に船は出発。本当にぎりぎりの乗船だったようだ。

 さて、何気なく手に持った乗船券を見ると、2枚とも妻の名前の券である!往復チケットを買ったのだが、行きも妻の名前、帰りも妻の名前のチケットが手元にあるのみである!!ということは、もぎりの係の人が、誤って私分の往復チケットを切り取ってしまったのではないか?このまま私だけ帰国できなくなるのではないか、という不安がよぎったのであった。

 船は高速で海上を飛ばし、あっという間にエストニアのタリンの港に到着した。
 高速船の到着した先には、いかにも元共産圏の建築らしい、味気ないコンクリートづくりの要塞のような巨大建築があった。
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 昔の子供向けヒーローもの作品の、「悪の要塞」の見本になりそうで、かつピラミッドのような謎の建物である。
謎の要塞は上を歩くこともできたので、上を歩いていったが、ひと気もなく、何の建物だかよくわからない。

 少し歩いただけで、こんどは普通に車が走る道路が見えてきて、その先に中世的な建物群が見えるという、景色の激変があり不思議な感じだ。
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 ストーリーに脈絡のない夢を見ている(悪の要塞→日常の道路→中世のお城)ようだ。つづく。

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2011.08.17

路上喫煙禁止のはなし

 道路や歩道でタバコを吸ってはいけませんよ、という条例が出たのは、確か東京の千代田区が最初だったと思う。以降、人通りの多い場所での路上喫煙禁止は、全国の自治体で実施されているようだ。明らかに昔と比べて歩きタバコは減っているようである。
 禁煙のマークと言えば、昔から駐車禁止のマークの中央に煙のついたタバコを描いたものがスタンダードである。ところがこの路上喫煙禁止のサインは、そのマークにとどまらず、自治体独自のデザインを、歩道の地面にプリントする、という方法が一般的である。駐輪禁止エリアについては、案内表示板を立てているケースが多いのだが、路上喫煙禁止に関しては、なぜか地面プリントが圧倒的である。
 自治体によってデザインが違うことに興味を持ったので、東京のいくつかの自治体の歩道に貼ってある喫煙禁止マークを比べてみた。
Sumida
【墨田区】文字を前面に打ち出してメッセージ性が強い


Chuo
【中央区】どっち側から歩いてきてもわかるデザイン


Chiyoda
【千代田区】路上喫煙の先駆者 シンプルイズベスト


Bunkyo
【文京区】これも文字が力強い


Musashino
【武蔵野市】少し変わったデザインだが内容は伝わる


Itabashi
【板橋区】路上禁煙から放置自転車禁止まで全部盛り込んだうえに、ニリンソウ?かなにかのデザインを入れてしまったがために、何が伝えたいの遠目にはかわっかりづらい・・・。写真もボケているけど。


 これだけ比べてもとても個性があふれている。さらに多くの自治体が喫煙禁止をしているという事実にも驚いたのだ。東京が集団ヒステリーのように禁煙の大合唱をしているが、その点、大阪は東京より進んでいて、すでに別のものを規制していたのである。
Photo
【淀川区】何で?

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2011.07.24

2010年フィンランドの旅12「移動日」

 また冷房の効かないバスに乗って、トゥルクに戻った。
 トゥルクは2011年、欧州文化首都になるらしく、デパートでその記念Tシャツなども売っている。
 昼ごはんをトゥルクのレストランで食べた。20歳前後の若い男性店員に英語で注文してみたら、「ごめんなさい、英語あまり得意ではない」とのこと。でも、話してみると我々の英語力よりも格段に上手く、注文に支障はなかった。
 昼食後、トゥルクからまたヘルシンキに列車で戻った。
 今日から2泊泊まる宿は、1日前に泊まっていたところよりも駅から離れている。カートをごろごろ転がしてホテルに着いた。ホテルは通りから奥まったところにあり、ゲートをくぐった中庭にかわいらしい入口があった。
 ホテル前の広場の半地下がまるごとスーパーになっている。ヨーグルトと飲み物を買って来た。しかし、部屋の冷蔵庫が冷えていないのだ。さっそくフロントにクレームをつけようとした。「すみません、冷蔵庫が冷えていないんですけど」と伝えたいのだが、さて、冷蔵庫っていう英単語が思い出せない。いろいろ記憶を振り絞っていると、何となくレフリジレイターみたいな言葉だったと思いだした。フロントの男性にレフリジレイターが・・・と拙い発音で伝えるが、うまく伝わらない。何となくスラっと言えない単語なのである。色々な発音で試行錯誤して必至で伝えていると、相手が「あ、フリッジが冷えないのね」と言って来た。こちらが苦労して発音していた冷蔵庫を軽い略語で表現しやがるのである。なんだそんな簡単な単語でいいのか。
 ひと悶着が落ち着いてちょっと夕方のヘルシンキ観光に行こうとしたら、おなかをこわした。豪華な夕食を食べにいく感じでもなかったので、フィンランドに来てから気になっていたファストフードで済ますことにした。日本にはモスバーガーが有名だが、こちらでは「ヘスバーガー」という看板をあちこちで見かける。そこでバーガーをテイクアウトして食べて寝る。結果的に移動して疲れただけで終わった一日。続く。

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2011.06.29

2010年フィンランドの旅11「スパホテル」

 ムーミンランドを出て、ツーリストインフォメーションに戻って荷物を受け取った。さて、今晩の宿はナーンタリスパホテルで、そこから2㎞ほど離れたところにある。
 この界隈を結ぶ連絡バスが走っているらしいのだが、どうも時間を見ると1時間くらい待つらしい。炎天下ではあるが、我々は荷物を転がして、ひーこら歩いてホテルに行くことにした。
 さて、宿泊するホテルはスパ設備が売りのところだが、さらに海に浮かんだ客船に宿泊するプランを選んだ。陸地から固定してある船にデッキが渡してあり、その船室に泊まるのだ。
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 この時のフィンランドが普段はありえない猛暑になっているせいか、ガラス張りの連絡通路には冷房が効いている感じがなく、非常に暑かった。しかしここはSPAホテルである。さっそく水着を持ってスパに行ってみた。
 いくつか細かな浴槽やサウナにわかれた施設は、中央に大きなプールがある。最近水泳をやっていなかったので、思い切り泳いだ。日本の熱い温泉感はないが、スパはホテル横の海が臨めるガラスの部屋で気持ちが良い。外のビーチで泳いでいる人もいる。
 そこで見かけたのは白人ばかりで、昔であればこうしたヨーロッパのリゾートに必ずいた日本人は見当たらないし。最近見かけることの多い、中国人も見当たらないのだ。
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 ホテルの前に様々な国の国旗が掲げてあるのだが、日の丸も中央にはためいていた。その日、宿泊している人の出身国の国旗が掲げているのであろうか?
 翌日はまたヘルシンキへ向かう。つづく。

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2011.05.11

2010年フィンランドの旅10「ムーミンランド2」

 ※1月28日の記事以来のフィンランドシリーズ復活である。
 一人21ユーロのチケットを購入し、ムーミンランドへ入場。シーズンオフなら無料で入れるらしいが、着ぐるみ達がいないのだろう。シーズン中のランドは結構混みあっている。
 アメリカや日本のテーマパークと比べると、手作り感はあるものの、おなじみのムーミンの出演者達が登場し、子供たちは大はしゃぎである。私は子供の頃、ムーミンのアニメをそれほど熱心に見た記憶はないが、フィンランド訪問前に少し勉強したのである。その中でおしゃまさん(トゥーティッキー)という少し現実的なキャラクターがいると知り、会ってみたくてしかたなかった。
 島の中央部ムーミンハウスがあり、そこにほとんどのキャラクターが集中している。
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 ムーミンハウスは中にも入れる。異常な猛暑のため、中も暑い。
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ムーミンキャラのオンパレードである。
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水浴び小屋、ビーチ、山と人工の渓流があったりと、完結したムーミンの世界がそこに!!
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 結局おしゃまさんには会えなかったが、ムーミン好きな子供なら満足できる世界であった。それにしても大人だけの来訪者は我々以外ゼロである。


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2011.04.23

立ち上がれる日本

 強烈な地震の揺れの体験と、津波の映像と、放射性物質の降下という一生に一度あるかないかという非常事態を体験して、すっかり精神的に参ってしまった一ヶ月が過ぎた。仕事もめちゃくちゃ忙しかったこともあって、あっという間に過ぎてしまった1ヶ月であるが、今、元気で日常生活を送れるだけでも幸せなのだろう。
 震災直後の規律とマナーある日本人、という状況から一転、世間は批判と責任転嫁が渦巻いているが、それだけ日本人が元気を取り戻してきた証拠だろうか。様々な批判はあるが、震災への対応で、それぞれのポジションの人は、それぞれの仕事をきちんとこなしていると思う。今は批判より建設的提案や行動が必要な時である。降ろせ降ろせの大合唱になっている首相だって首相なりにキャパシティの範囲でできることはやっているんだろう。そもそも自分がものごころついてから、2桁の首相交代があったが、リーダーシップを発揮した首相なんてその中に2人くらいしかいない。今頭をすげ替えても、格段に優れたリーダーシップを発揮する人が出てくるとは思えない。今は人の入れ替えよりも、体制の安定と英知の結集が優先される時だ。特に津波に強い町づくりの専門家とか、原子力の専門家とか、非常時のメンタル関連の専門家とか、専門の研究をされている皆さんは、最大の力を発揮する時である。建設的なアイデアが数多く出てくる国、これが日本の力になるのではないだろうか。
 そんなわけで、何ら専門性のない私としては、次回からはいつもの旅の思い出話のブログに戻していこうと思っている次第である。

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2011.03.18

3.11

恐怖と混乱の中、一週間が過ぎた。
強烈な揺れとその後の社会の混乱を体験した以外、
直接的な被害を受けたわけではないのだが、
何もできない。混乱するばかりである。
不安から逃げるように酒におぼれる日々。

悪夢からしばらく後、テレビに映し出される映像から
一筋の光を見た。
一人ひとりの冷静でモラルある行動。
勇気あふれる行為。
苦しみの中で力強く生きる姿。
多くの善意。

被害は歴史的な大きさで、まだ拡大している。
悲劇は続いている。
被災者の救済や復興が容易でないのも事実である。

それでもなお、
私たちの日本は世界に誇れる国に再びよみがえる。
これから何年かかったとしても絶対に。

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2011.02.11

祝7周年

 本日でこのブログは7周年を迎え、8年目に突入したのである。ここ数年は書き込むのが1か月に一度ペースなので、コンスタントに更新を続けているとも言えないのだが、7年もったのは我ながらよくやった方だと思う。7年と言えば、開始当時生まれた赤ちゃんはもう小学校に通っているという年月である。
 さて、現時点では時々時事的なネタや気になることのネタをはさみながらも、相変わらず夏休みの旅行の思い出を特に盛り上がりもなくダラダラ書いていくという、読者をつかみきれない構成になっている。でもとりあえず現在のフィンランドシリーズを完成させなければならない、という根拠のない義務感。
 今日東京は雪。これからもまだブログは続けます。

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2011.02.10

大相撲を見に行く(2011)

 様々な問題で揺れる相撲界。そんな合間を縫って、2011年の初場所を見てきた。東京に住んでいながら、はじめての相撲観戦であった。
 チケットの取り方すらわからなかったが、とりあえず、両国国技館でチケット販売開始前日に整理券が配られるというので、朝6時過ぎに並んでみた。6時20分頃ですでに長蛇の列。意外と人気があるのだ。7時すぎに整理券をもらい、そのまま出勤、翌日またチケットを買うために整理券順に並んで、中日の正面最後の桝席Aを確保することができた。結果的にチケットの現物がある国技館の購入方式は、ネットやコンビニ購入と比べると正攻法の中ではとりやすい方なのかもしれない。
 いよいよ場所当日。午前から国技館入りした。なぜかもぎりを高砂親方がやっていた。
 桝席をとっていながら、初の国技館見学で二階の椅子席にも行ってみた。意外と土俵が良く見下ろせるので、椅子席も前の方は良い席だと思う。
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 相撲博物館は思っていたほど展示物がなく、少し期待外れであった。
 相撲は早い時間から下位力士の取り組みが行われている。体格で見ると幕内とかわらないぽっちゃりさん達である。まだ空席ばかりだが、相撲はずっと見ていて飽きない。
 桝席は大人4人で座ると窮屈。2段ごとに間に細い通路がある。履物は後ろの桝席の下につっこむことになっているらしい。うちは予約しなかったが、大多数の桝席はお茶屋さんにお弁当やお土産を予約しているらしく、土瓶や茶碗等があらかじめセットしてある。
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 相撲は最後の横綱の取り組みまであきることなく見ることができた。体格こそ幕下と上位力士は変わらないように見えるが、やはり上位力士はスピードや迫力がすごいようだ。
 しかし20世紀の相撲人気に比べるとスター力士が少なく、少しさびしい。力士のなり手も外国人ばかりになり、国民的スポーツとしての相撲はだいぶ下火になってきているのは否めない。それでも満員御礼。
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2011.02.02

氷結の滝を見に行く(再び)

 1年前、こんな内容でブログを書いた。

  2010年2月24日、妻が仕事で私が休み、という平日であったので、ふと思い立って滝を見に行こうと思った。
 目的地は袋田の滝である。冬場に氷結し、ダイナミックな氷の芸術として相当な迫力だと伝え聞いていたので、是非見てみたいと思っていた・・・・。

 しかし結果的に1年前は暖冬のせいか、袋田の滝はさらさらと水が流れるのみで、氷のかけらひとつもなかったのである。
 今年は久々の寒い冬ということで、2011年2月2日、妻が仕事で私が休み、という平日であったので、満をじして袋田の滝へ向かったのである。
 夜明け前に家を出て、昨年同様、常磐道から那珂インターを降り、大子町へ向かった。滝近くの道路の温度表示はマイナス2℃。なんとか氷瀑になっていそうである。しかし昨日関東地方は若干気温が高かったので、少し心配だ。
 昨年と同じ無料駐車場に車を停め、滝方向へ向かうと、途中の橋の下の川面は完全に氷結している!!
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 期待大である。
 いよいよ滝に行ってみると、完全ではないが9割凍っている。左端に若干強めの水流があり、中央部にもちょろちょろと水の流れるところはあるものの、全体的には氷結している様子であり、昨年見たさらさらと流れる滝と比べると、俄然ダイナミックである。
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 滝を見る側と対岸に渡る吊り橋があり、
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 そこを渡りきったところに、階段がある。
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昨年も登ったのだが、かなり勾配がきつく、段数も半端でない階段を約5分で一気に駆け上った。足から血の気がひくきつさだ。登りきると、袋田の滝の上流が見られるのだ。
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 麓側を見下ろすと、5分でも相当高いところにいるのがわかる。
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 更に登ると、別の滝の案内が。
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 その先には小さな滝が完全に氷結して止まっているのが見られた。
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 結論としては足がふらふらのひとことにつきる。フツーの観光客は、袋田の滝を正面から見て帰る(高い観瀑台にもエレベーターで昇る)だけなので、こんな目にはあわない。

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2011.01.28

2010年フィンランドの旅9「ムーミンランド1」

 ヘルシンキ観光を一旦終え、翌日はムーミンランドへ向かう。今回の旅では妻のたっての希望で、ムーミンの世界へ行くことになったのだ。
 まず、ヘルシンキ中央駅からトゥルクへ向かうのだ。駅の切符売り場の職員は、全員が女性。朝早く到着したので、売り場も空いており、簡単にチケットを買うことができた。
 トゥルクの駅へ着いて、駅から10分歩いてバス乗り場に。バス乗り場は駅から離れているが、トゥルクの街の中心部にあるようだ。トゥルクの街は洗練されている感じだが、バス乗り場の回りだけは、屋台等もあり、ゴミも散らかって猥雑な印象。ナーンタリ行きのバスはすぐ見つかって、我々はバスに乗り込んだ。
 バスは冷房がついているような気もするが、全く効く気配はなく、汗が出てくる。やはりこのあたりも、例年の夏は25℃を超えるようなことはなく、冷房などいらないのだろう。やっぱり今年のフィンランドは猛暑であるようだ。暑いバスに30分から40分ゆられて、ようやくナーンタリのバスターミナルに着いた。
 ナーンタリのバスターミナルからムーミンランドまでは徒歩5分くらい。でも猛暑の中、旅行荷物すべてを持っての移動はつらい。途中舗装されていない木陰の道を選択してしまい、キャリーバッグのタイヤをガタガタ言わせながら進んだ。
 さて、ホテルに寄らずに旅行用の荷物を転がしてきたわけであるが、どうやらバスターミナルにも、ムーミンランド付近にも、コインロッカーのようなものがないのである。そして今夜のホテルまで行って帰って来るのはかなり距離があり面倒なのだ。この大きな荷物を転がしてムーミンランドを歩くのも何かと不自由である。
 そこでだめもとで、ムーミンランド入り口の手前のツーリストインフォメーションの若いお姉さんに、この厄介な荷物を預かってもらえないだろうか?と聞いてみた。都会であれば、あまりそうした融通は利かないのだろうが、いとも簡単にオフィスの端の方をさして、「ここでよければ置いておいてもいいですよ」と快く応じてもらえたのだ!
 他に預けられている荷物もあるわけはなく、来場者もそれほど多くもなさそうなので、ここでは珍しいアジア人の顔は容易に覚えておいてもらえるだろう。
 ムーミンランドはヨットを係留する桟橋で本土と結びついた離れ小島にある。想定されていたことだが、ここに来るのは幼児を連れた家族連れがほとんどで、日本のテーマパークであればいないことはない我々のような中年の男女とか、女の子同士の団体というのはいない(少ないのではなく、全くいないというレベルである)。平日の昼間という要素はあるものの、ムーミンというのは本場ではあくまで子供向けのキャラクターである、ということであろう。つづく。
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2010.12.16

中年バンド

 最近ひょんなきっかけで中年層で構成される、いわゆるオヤジバンドに参加することになった。担当は全く専門外のドラムである。

 なぜ、専門外のドラムを?
 実は、子供の頃から太鼓をたたくのが好きだったのだ。小学校のクラスの合奏では小太鼓(スネア)を自ら立候補して担当していた記憶がある。ただ、学校全体で行う鼓笛隊(マーチングバンドのようなもので、地域の小学校数校で発表会みたいなものがあった)では、見た目に華がなかったためか、花形の大太鼓、小太鼓には選ばれず、縦笛(!)という完全なその他大勢組のひとりであった。

 高校、大学とそれぞれブラバンとフツーのバンドにてサックスを担当していたが、お遊びでドラムを叩かせてもらったことはあるため、大まかな奏法は知っていた(といっても教則本も見ずに、素人判断のイメージで叩いているだけ)。更に社会人になってもこれまたお遊びで何度か叩いていたのである。
 ドラムというパートは、スタジオ練習ではスティックさえ持っていればすぐ演奏ができるという特性がある。遊びで叩いていた延長で、偶然スティックを持っていたというきっかけで、自然とドラム担当になってしまったのだ。
 ドラムは難しい楽器ではあるが、ギターやピアノと比べると、音階やコードがない分、習得のハードルは低そうに感じる。これから練習が始まるが、当然家にドラムはないため、イメージトレーニングとスタジオでの個人練習(有料)が主体になってしまうのがネックである。

 さて、バンド活動をはじめて、ほぼ20年ぶりに練習スタジオに頻繁に出入りすることになった。そもそも20年くらい前にバンドブームがあって以降、バンドで音楽をやる、なんていう活動は下火になっているかと思いきや、結構スタジオはどこも盛況である。それも40代、50代のかつてのバンドキッズであったおじさま方主体かと思ったら、大学生くらいの若者も大勢いるのである。裾野が広そうな世界だ。

さぁ、40代の趣味がどのように発展していくのか楽しみだ。

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2010.11.28

2010年フィンランドの旅8「暑くなってきた」

 スオメンリンナでは海水浴をする人達もいたが、何しろ暑い。十分喉が渇いているので、ビールがうまそうだ。ヘルシンキの本土へ向かう船の中で、カフェウルスラのテント(帆のような庇)を確認することができた。そう、映画「かもめ食堂」で出演者たちがビールを飲んでいた海辺のオープンカフェがカフェウルスラである。
 マーケット広場のある船着き場へ戻ったものの、カフェウルスラへの市電の乗り継ぎ方法が良く分からない。結局歩いていくことにした。緑あふれる小高い丘と、比較的新しく感じるカイヴォプイスト公園を延々歩くと、公園の先端付近にカフェウルスラはあった。途中公園でこれから飲もうとしているような若者とすれ違ったが、地元の人はそれほど冷えていなさそうなビールをセット買いして、エンドウ豆みたいなのをつまみに飲むようである。大量に豆の入った袋とビールを両手に持って歩いて行った。
 カフェウルスラは予想に反してセルフサービス(カウンターで注文・精算して自分で飲み物や食べ物を運ぶ)方式であった。メニューはサンドイッチなどの軽食やアイス、飲み物などシンプルである。ビールや軽食、デザートなどをとった。鳥たちが多く近づき、客の残した食べ物を狙っていた。
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 また暑い道を延々歩き、ホテルに戻って休憩後また歩いて岩山をくりぬいた体の不思議な建築様式のテンペリアウキオ教会に行った。涼しげな教会を想像していたが、教会の中はものすごく暑いのだ。
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 ヘルシンキの夏はガイドブックその他の情報によれば、最高気温が20℃前後と涼しいはずだったのだが、なぜかヘルシンキにきてから異常な暑さの中にいることに気づく。異常気象なのだろうか。
 晩御飯はヘルシンキでは超高級の部類に入るカンプホテル(泊まっているホテルの隣のホテル)の一階にあるレストランでまたビールと食事。暑いのでビールばかりである。そこで食事をしていたら、世界の国旗を掲げ、サッカーのユニフォームを着た子供たちが目抜き通りをパレードしていた。子供たちの世界サッカー大会のようなものがあるらしい。
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 この夜もGLOに連泊。

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2010.10.31

2010年フィンランドの旅7「スオメンリンナ」

 時差もあり早めに寝たような気がするが、目が覚めると夜中であった。ただ空を見ると真っ暗ではなく多少の明るさがある。日本だともう朝なので体内時計が朝食を欲しがっている。時差ぼけを直すため、軽食などは我慢して夜を過ごした。
 待ちに待った朝食の時間が来た。ホテルの2階にあるレストランに向かう。ビュッフェ形式の朝食であった。
 待ちに待っただけあって、そして非常に空腹なせいもあったのだが、「今まで食べた朝食のなかでいちばん美味かった」のである。特に調理品でなく、どこにでもあるありきたりの朝食であるはずのヨーグルトの中にミックスフルーツを入れて食べたものが、なんだかとても美味しかったのだ。
 到着の翌日はとりあえず、ヘルシンキの沖合に浮かぶスオメンリンナ島へ向かうことにした。かつてのロシアやスウェーデンの侵攻に対する要塞島で、日本で言えばお台場といったところか。今では公園島になっているものの、ところどころに砲台の跡なんかがあったりする。
 ここはヘルシンキの観光客と市民の憩いの場所として外せない公園になっているらしく、連絡船は結構混んでいる。島の船着き場に着くと、そこから島の中心に向かう人々で大混雑だ。
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 緑多く、爽やかな風が吹くが、今年のヘルシンキは異常に暑いようで、夏らしく十分に暑い。ただ、要塞の城壁のような石造りの構造物の中に入ると、ひんやりしてとても涼しい。
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 島内ではガイドツアーに参加する人、島のまわりを遊覧船で観光する人、結婚式を協会でやる人、水辺で海水浴をする人など、思い思いに楽しんでいる。なんとなく夏らしい空気を満喫したところで、暑さでめちゃくちゃビールが飲みたくなったが、ヘルシンキの本土まで我慢してそちらで飲むことにした。つづく。

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2010.10.27

2010年フィンランドの旅6「ヘルシンキ到着」

 西ヨーロッパで最も日本に近く、ハブ空港的な役割もあるヘルシンキ・ヴァンター空港であるが、到着フロアは思いのほか小さい空港だという印象。
 空港の建物を出て道路一つはさんだところが、市内行きのフィンエアーバスの乗り場だった。10分ほど待ってバスは到着。大きい荷物は車体の下に入れ、運転手に運賃を支払う。
 空港から市内までの光景は、他のヨーロッパ諸国と特に代わり映えにしないものだった。しばらくしてヘルシンキ中心部に近づく。ヘルシンキ中央駅横のターミナルに着いた。
 駅に到着すると目についたのは多数の路上喫煙者である。北欧と言うと、先入観で喫煙に厳しそうなイメージがあったが、意外と寛容なようである。日本でも東京都内では路上喫煙禁止エリアが広がっているので、歩道でタバコを吸いながら歩く人々の光景はなんだか新鮮である。
 我々は駅からキャリーバッグを転がし、石畳の道を今夜のホテルに向かった。ホテルはbooking.comで予約したGLOというホテル。駅から5分ほどのところだ。入ってみるとなんだかとってもスタイリッシュ。客室もさながらセンスの良いラブホテル(?)のような風情である。
 夕食はそこから1分ほどのソコスホテルの1階にあるレストランで食べた。数年前のヨーロッパ旅行と比べると円高のおかげで安くなったが、デフレ化の日本と比べると、まだ割高感はある。
 夕食後も外は明るい。一日を二度過ごした感覚。日のほとんど沈まない北欧の夜である。少し散歩してからホテルに帰った。ヘルシンキの通常の夏は日本の5月とか10月くらいの気候のはずなのだが、夜に半袖でも十分な夏模様なのであった。つづく。
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